~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (一)
固陵こりょう(現在の河南省太康たいこう)の城は、姿を遠望するだけでも変にうらぶれたかげがあった。
まわりは広濶こうかつな野で、大小の河川の氾濫はんらんが多いせいか、郊野の村々の家屋の土壁が崩れ落ちていかにもさびしい。日が経ち、秋がけ、草が枯れている。むき出しの黄土の土の海のやや小高い所に固陵城がある。
城市まちを囲む城壁は死人の肌のように黒ずんだ日干し煉瓦れんがで、いつの時代に築かれたものか、城楼などは風化して半ば崩れてそまっている。
劉邦りゅうほう窮鼠きゅうそになった」
包囲している項羽こううは、士卒を励ますためにそのように言った。逃げ上手の劉邦が、ついにはこういう田舎の小城にもぐり込んでしまった。あの狡猾こうかつな男も、悪運尽き果てたしるしではないか。
みつぶせ」
項羽は連日陣頭をけまわりながら、馬をとめて将をどなり、むちを鳴らして士卒をしかった。
兵が項羽に感じている魅力の一つは。日常の配下に見せるえも言えぬ甘ったるさだった。自分の配下が限りなく好きであるというのは、巨大な感情の量を持った ── というよりも異常に愛憎の強い ── この男の性格の奥底の根から出ているものに違いなかった。それがひとたび陣頭に立つと激しい叱咤しったにかわり、配下を雷電に撃たれたように物狂いにしてしまうのである。
「わが項王よ」
と、楚兵のたれもが項羽に畏敬いけいという以上の愛情を持っていた。その兵たちの首領に対する想いの深さは、劉邦を首領とするかん兵たちの想像を越えるものがあった。
が、この固陵城攻撃の段階での楚軍は、すでにそうではなくなっていた。項王への叛意はんいこそ持たなかったが、えと疲れのために気がえ、力をふるおうにも、ほこげきを持ちあげるのがやっとという者さえあった。
城外の村々は、かつて広武山こうぶざん対峙たいじ段階で楚軍が兵糧ひょうろうを徴発しきってしまった為に村人のかてさえ尽きていた。村人たちはこれ以上の戦いを望まなかった。まして楚軍に対してひとかけらの好意も持っていない。
楚兵たちも、失望していた。広武山上から撤退して楚の根拠地の彭城ほうじょう(今の徐州)に向かう時、項羽が、
「今少しの辛抱だ。彭城に帰れば飽食させてやる」
と言い、士卒たちも彭城で飽食するだけが望みであった。しかし、今、このような田舎城でひっかかってしまっている。
城壁まぢか・・・の前線では諸将が、
── 劉邦の首をあげよ。固陵城のかてをわが糧にせよ。
と、士卒を励ましているが、後方では夜陰食をあさりに陣列を離れるものが多く、ときにそのまま逃亡する者もあった。
張良ちょうりょうは、当然なから固陵の城内にいる。
城を幾重にもとりまいている楚軍の攻撃は漢兵を怯えさせていたが、張良は劉邦の運命に絶望は感じていない。ただやり方によってはこの固陵城が劉邦の墓場になるだろうと思っていた。
張良は、元来、体が弱かった。
この長い戦いの日々のなかでも、しばしば風邪をひいて病臥びょうがしたが、かといって重要な痼疾こしつがあるわけでもない。
この籠城ろうじょうがはじまってからも、からだの気怠けだるさを理由に劉邦の帷幕いばくから離れ、民家の一室を借りて養生していた。
「平素、食べ過ぎているから」
と、ときに穀物こくもつを断ってしまう。
日頃、過食どころか、張良に接している従者でさえよくこの程度の食事で生きていられるものだと不安がるほどに少食だった。
2020/08/10
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