~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (七)
「陛下」
しばらくして、張良は言った。この男はいつもそうだが、この時気味悪いほどしずまりかえっていた。
「陛下にはただ一つだけ活路があります」
「活路が。──」
「このことは、平素の陛下に申し上げてもおとりあげになりますまい。おそれながら漢軍は猟師に追われて穴に逃げ込んだ熊のようで、これ以上の窮迫はないといえましょう。亡びるならばいっそ最後の手を打ってみるということでございます」
「さすれば、北方の韓信かんしん、東方の彭越ほうえつがやって来るというのか」
劉邦は、めずらしく話の先廻りをした。
要は、そのことなのである。
多年。劉邦は項羽と戦い、後半では現在の隴海ろうかい線上を行きつ戻りつして激しく死闘を繰り返した。この隴海線上での死闘のある段階で韓信はちょうを征氏し、えんを屈服させ、ついにせいという大国を平定し、このあたりから死闘中の劉邦に対して冷ややかになった。
次いで、彭越も冷淡になった。
この両人とも、劉邦が広武山こうぶざんを降りてにわかに項羽を追跡することに決した時、知らぬ顔を決め込んで劉邦のもとに来会しなかった。劉邦はあせり、何度も催促の使者を送ったが、今なおやって来ないままでいる。
そのあげくが固陵こりょう城外での敗戦になってしまった。さらにつづいて劉邦が固陵城にげこんで籠城するという事態になったが、両人は見殺すつもりか、やって来ないのである。
劉邦は、激怒してもよかった。
── あいつを拾ったやったのはおれだ。
と、韓信については言える。
かつて項羽のもとから身一つで逃げて来たあの書生じみた男を、最初は兵糧方の属官程度にしていたが、蕭何しょうかのすすめで一躍じょう将軍にした。部将も与え、士卒も与えてやった。韓信は華北一円の征服において古今稀な功を立てたが、そのもと・・はといえば劉邦から借りた兵力のおかげではないか。
韓信が広大な斉の地を征服し終えた時、劉邦は滎陽けいよう城にすくみきって項羽の包囲を受けている最中だった。韓信は救いに来るどころか、使者を送って、
── 自分を斉王にしてくれ。
と頼んで来た。劉邦はおもわず錯乱してどなったが、張良と陳平ちんぺいにそっと合図されて怒ることの非を覚り、急に笑顔を作ってこれを許した。あの時怒っていれば韓信は自立して第三勢力になったであろう。
以後、劉邦は怒らない。劉邦のような立場の男は、たとえ側近を相手に韓信のことをこぼしても、なにかの形で韓信に伝わってしまうのである。もし劉邦の怒りが伝われば、韓信は処刑を怖れてあっさり自立してしまうばかりか、項羽と同盟するに違いない。
韓信が項羽と同盟していないことは、項羽が韓信を討たせるべく楚軍第一等の猛将竜且りゅうしょに大軍を与えて北上させたとき、これを渭水いすいのほとりで撃滅し、竜且を殺してしまったことでもわかる。
この当時、張良は劉邦に注意して、
── 決して韓信に不満をお持ち遊ばさぬように。彼が項羽と同盟しないだけでも陛下にとって大きな利益なのです。
と言ったことがある。
(そのとおりだ)
劉邦は思うべくつねに自分に言いきかせて来た。韓信が項羽と締盟ていめいすれば劉邦などたひどころに亡びてしまうだろう。
その上、韓信は劉邦を救いに来ないとはいえ、斉の地で大軍を擁して鎮まっているということは項羽にとって大きな牽制けんせいになっていた。劉邦はせめてこれを喜ばねばならない。
そういう内外の情勢の上に劉邦の感情は成立していた。どういう心術でもって感情を政略に密着させているのか、劉邦は韓信に対していっさい悪声を放ったことがない。
2020/08/13
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