~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (十一)
この?渓城内で朝を迎えた時、これ以上の衝撃はあり得ないという急報を受けた。
北方の韓信かんしんが三十万の兵を率いていそぎ南下しているという。
それだけではなかった。彭越ほうえつ軍も降って涌いたように項羽軍の付近で動きはじめていた。
さらには、韓信と彭越のそれぞれの先鋒せんぽうが、項羽軍が帰るべき彭城(?渓の北方)をとりまいてどよめいているというのである。
「そうか」
項羽はそれを聞いた時、顔に馬革ばかくをかぶせたように無表情になった。滝 彭城という城の欠点は、広濶な平野の中にあるため防御しにくいということであった。
のような音をたてて潮が落ちはじめたのを内心で聴きつつ、
(もはや彭城には帰れない)
項羽は思った。彼らしくもないこの消極的なことを、いつもこの男の素早さで決めた。
項羽の軍は、固陵攻囲の頃から目立って減っていた。この?渓の段階で十万そこそこでしかなくなっている。かつては満天下に比類のない軍容を誇った彼の軍は、今や南下しつつある韓信軍の三分の一でしかなかった。
個の軍を率いて彭城に突き入ったところで、彭城ほどの大きな城の防御はむずかしいのである。
「漢軍にわが武を見せてやりたいが、この付近によい地形はないか」
項羽は武将を集めて言い、同時に四方に探索者を出した。
垓下がいかというところがある。
現在の安徽省霊壁れいへきの東南にある地で、大きな岩壁があり、その岩壁の周りに集落がはりついていて、そのあたりを幾筋かの川が流れている。
それらの河川をほりとして防御工事をほどこし、岩壁にも土木工事を施せば寡少の兵力をもって大軍と対抗することは不可能ではない。防御しつつ敵の隙を見て激しく打って出ればあるいは存外な好結果が出ぬともかぎらなかった。
項羽はこの?渓付近で軍容を張りつつ、後方にあっては垓下がいかの防塁工事をすすめた。
この工事に、ひと月かかった。
この間、劉邦は遠くから項羽とその軍の動静を用心深くうかがっていた。楚軍はすでに天下によるべなき孤軍になり、兵力は撃滅し、士卒も餓えているが、項羽が率いているかぎり、なお油断が出来ないのである。
すでに劉邦のもとに韓信も彭越も、それぞれの領域の兵をこぞって来会した。兵の郷国は雑多だった。ちょう兵、だい兵、えん兵、せい兵、兵、それぞれ言語も異なり、風俗も少しずつ違っている。山東半島の斉兵の体の頑丈さはどうであろう。代兵は見るからに騎乗にたくみだった。
それらはすべて漢軍の旗をひるがえした。その兵力は日に日に増え、ついに野をおおい、城々に満ち、この大陸はじまって以来の大軍になった。
項羽軍は、漢軍という海に囲まれた小島のように見える。大軍に兵法なしという。劉邦はただ攻撃命令を下すだけでよかった。
しかしこのに及んでもなお劉邦はためらっていた。相手は項羽なのである。
(項羽は、隙を見せるだろう)
その時に仕掛ければよい。・・・・
劉邦は最初、
(項羽は、その郷国の長江ちょうこうの南へ帰るはずだ)
と思っていた。帰って再起する、という方向が、今の項羽の取り得る唯一の活路ではないか。
そうなれば、長大な隊列の行軍がはじまる。遠くをめざして行軍隊形を取っている軍隊の防御力は弱く、漢軍としては敵の弱さにつけ入ってそのしっぽを撃ち、もっとも弱い側面に横撃を仕掛け、これを間断なくくりかえしてゆけば必ず敵を崩壊させることが出来るのである。
(遠くて長い項羽の退却が今から始まるのだ)
退却軍の兵は、敵にそびらを向けただけで気がえてしまう。劉邦としては敵の退却のきざしを掴めばよい。
が、劉邦の思惑は外れた。
項羽軍の張りつめたような前面は動かず、後方だけがしきりに動いている。そのさらに後方に、垓下の岡がもりあがっていた。
(なにをするつもりだろう)
劉邦は思い、土地の者を使って情報を集めてみると、項羽は垓下の断崖と河川を利用して野戦築城をしはじめているというのである。
(気でも狂ったか)
劉邦は、思った。
垓下のような、項羽にとっては地縁の薄い土地を選び、海の潮のように満ちた敵の中で穴籠りをするとは、どういう料簡りょうけんであろう。
さらには、籠城戦は項羽の得意ではない。
得意の戦略を捨て、わざわざ不得意な城ごもり・・・をしようというのは、なにか成算があってのことだろうか。籠城は、期待し得る援軍があってはじめて成立するのだが、項羽の場合、どこのたれを期待してるのだろう。
(楚の地を期待しているのか)
楚の地でも特に故郷ともいうべき江南こうなんの地を期待しているのか。
(項羽は、ひょっとすると何も知らないのではないか)
楚の地は、周殷しゅういんが治めていた。周殷は項羽から大司馬だいしばの称号を貰って江南を含めた広大な楚の地をまもっていた。それが漢に寝返り、黥布げいふ劉賈りゅうかとともに項羽攻めの戦線に参加しているのである。
2020/08/17
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