~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (十三)
項羽こうう劉邦りゅうほうに比べ ── というより誰に比しても ── はずれに強い自己を持っていた。自己という呼称の生物といってよく、なみ外れて多食し、その太いくびを多量に通過していく咀嚼物そしゃくぶつはすぐさま力になって欲望に変わった。
欲深い、というのなら若いころの劉邦も世間からいわれた。
項羽はそれと違い、彼の体で無尽蔵むじんぞうにつくられる生気というものが多量すぎ、つねに炎のように噴きあがり、敵をこなごなに圧倒してしまう以外にその生気のけ場がなかった。
この炎のために、項羽は他人の心というものが見えにくかった。このことは項羽に政略や戦略という感覚を欠かせてしまった事とは無縁ではない。
さらにこのことは、馬を愛し、女を愛することにもつながっていた。
その愛し方は激しすぎるというよりも、自己の延長もしくは自己そのものとして愛しているようであった。
項羽は常に虞姫ぐきを連れていた。
かつてせいへの行軍中に拾ったこの頸の細い女を片時も離さず、夜は激しくこうした。
項羽には虞姫がそのねやに入る以前に何人かの女がいたが、みな水気をうしない、骨の髄液がれるようにして病み。閨を去った。さらにはたれも項羽のために子を宿した者もいない。
この点、虞姫は華奢きゃしゃではあったが、朝になると、ふしぎによみがえった。濃いまつげにおおわれたその瞳はうるおいと光を失うことがなかったし、霧を含んだ練絹ねりぎぬのような肌は項羽の激しさにつねに耐えた。
虞姫が寡欲で無口であるということも、項羽の喜ぶところであった。項羽自身寡黙な上に、人に対する好みもそのようであった。
「あいつは、鳥だ」
と、多弁な人間を見るとそう言って不機嫌になってしまう。
用もないのに歯の間からさかんに言葉を吐き出している人間を見ると、男女とも鳥のように見えて来るらしい。
「やあ、笑った」
項羽が虞姫と向かい合っている時に、しばしばこう言って喜ぶ。人が無心に笑うのを見るのが好きであった。
虞姫は、笑顔がよかった。
声を出さず、ものがはじけるように笑い、表情がひどくき通ってしまう。項羽は日中でもこの笑顔を見ると、ときに人が居ても虞姫を引き寄せた。人々は心得ていて、すぐさま消えた。
項羽は、低い岡の上の民家の前にすわっている。
噴き渡って来る風が寒く、ひげが息で白く凍った。項羽はときに大きな手をあげ、鼻下の霜を無造作に振り払った。およそ寒さなど感じないような様子だった。
しかしこの男は、虞姫にだけは彼女が悲しくなるほど優しかった。虞姫が風に当たることを怖れ、背後の民家に閉じ込めたのである。民家にはオンドルかれ、その煙が風に吹き飛んでいた。ときどき虞姫の侍女が燃料を採るためにかご・・を背負って戸外へ出た。その時は急いで戸を閉めねばならない。
「早く戸を閉めろ」
そのつど、項羽が振り向いてどなった。その時の形相ぎょうそうは前面に林のように展開している漢軍よりも、虞が風に当たることの方が重大事であるようだった。
侍女が風に当たることは、かまわないのである。
侍女たちは、この敵前で、牛糞や羊糞の枯れたのを探しに行かねばならない。これらの物質は風の中で枯れかわいてしまうと、繊維状のものがまるくもつれあったようなぐあいになり、においもなにもなくなってしまう。これを燃やせば青い炎をあげて燃えた。
侍女たちも、虞姫が好きであった。虞姫には思いやりがあるというよりも、侍女たちが思いやりをかけてやらねば雪のように溶けてしまうのではないかと思われるほどの、人柄のよさが彼女にあるようであった。
侍女たちは彼女を、
虞美人ぐびじん
と呼んでいる。生殖をする以外に人としてのなんの機能はたらきも禁じられている虞姫に対してこれを美人と敬称することはあまりにもその存在の本質を言い当てすぎているよういではあったが、しかしこの敬称は容姿をさすのではなく、後宮こうきゅうの女の階級名であった。美人は正夫人をのぞいては最高の位置にあり、漢代になると地方長官の食禄であるところの二千石の礼遇をうけ、収入もその程度の実質をもつ。
項羽には、正夫人はいない。
彼は早くに両親を失ったために、定陶ていとうで戦死した叔父項梁こうりょうに養育された。いわば項梁の曹司へやずみであったために未だ妻を迎えず、むしろ迎えるようなゆとりもなく、戦場に出てしまった。部屋住みのまま楚軍の一将になり、項梁の死後、曲折ののち楚軍の総帥そうすいになったというぐあいだった。項羽がいまだ家をなさずに独身のままで天下のを争ったというのも、この男の場合、その人柄や性格にふさわしい。
このため、虞美人が、項羽にとって妻にひとしいと言えなくはない。
2020/08/17
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