~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (十六)
項羽は虞姫を抱いたまま熟睡した。
やがて乙夜いつや(夜九時から十一時まで)が過ぎる頃、眠りが浅くなった。
遠くで風が樹木を鳴らしている。風か、と思ったが、軍勢のざわめきのようであった。
(あれは、楚歌そかではないか)
項羽は、はね起きた。武装をして城楼にのぼってみると、地に満ちた篝火かがりび が、そのまま満天の星につらなったいる。歌は、この城内の者が歌っているのではなく、すべて城外の野から湧きあがっているのである。楚の国は言語が中原ちゅうげんと違っているだけでなく音律もちがっている。 楚の韻律は悲しく、ときにむせぶようであり、ときにえんずるようで、それを聴けばたれの耳にも楚歌であることがわかる。
しかも四面ことごとく楚歌であった。
── わが兵が、こうもおびただしく漢に味方したか。
と思った時、楚人の大王としての項羽は自分の運命の尽きたことを知った。楚人に擁せられてこその楚王であり、楚人が去れば王としての項羽は、もはやこの地上に存在しない。
しかしこの楚歌はどういう人々が歌ったのであろう。
垓下えんの城のまわりにいるのは、韓信の軍で、楚兵はいない。あるいは黥布げいふ劉賈りゅうか周殷しゅういんという楚兵を率いている諸将が前面に出て来たのか、前面に出るとすれば部署替えがあったわけだが、すでに韓信という者が先鋒である以上、劉邦があとにしこり・・・をのこすそういう処置をするはずがなかった。
古来、韓信が兵に楚歌を歌わせたのだという説がある。しかし韓信の作戦癖からいえばその奇想はつねに物理的着想で、このように項羽その人の心の張を失わせるような心理的効果を考えてのいわば陰気な発想をとるとは思われない。
歌は、自然に湧きおこったのであろう。
しかしどういう人々が歌ったのかとなると、繰り返すようだが、わからない。あるいは風に乗って聞こえて来た似たような音律を項羽が聞き間違えたのかどうか。
いずれにしても項羽はこの歌によって、しんに就く前の様子とはちがった行動へ方角を切り替えたことはたしかであった。
「酒の支度をせよ」
と、命じた。
みな、ともに飲もう、そのあたりにいる者をこの張中ちょうちゅうに呼んで来い、将士も士も卒もない、みなよと言え、張中に入りきらねば廊下でさかずきを持て、廊下が満ちれば階段に立て、入りきらねば郭々かくかくであるいは立ち或いはすわって酒樽の酒を汲め、肉も少しはあろう、すべての者の手に肉を持たせよ、と言った。
「酔うほどには飲むな、別れるために飲むのだ」
項羽は、つねになく多弁になっていた。
「飲みえればめいめいが城を落ちるのだ。運を天に任せ、いずかたなりとも血路を開いて落ちのびよ」
項羽はまず酒をあおり、さかずきをさかさまにした。
「まだあるか」
横の舎人とねりに言った。
その老いた舎人が注ぐと項羽は大きな目でその老人を見て、お前は会稽かいけいの挙兵以来わしのそばに居た、天下を取れば大夫たいふ太僕たいぼく(天子の乗物をあつかう長官)の衣冠を与えてやろうと思ったのに、もはや何のむくいもお前にしてやることが出来なくなった、と言い、言い終わるとはじめていた。
「大王、あれから七年になります」
舎人は言った。挙兵以来の歳月のことである。
項羽は驚き、わしには百年もりたかと思われるし、また思いようによっては昨日のことのようでもある。と言ったかと思うと不意に感慨が突きあげてきたらしく、血脹ちぶくれしたようなかおになって、大きな尻をゆかにすえてしまった。
「酔え。──」
酔うな、と言ったことを忘れ、さかずきのなかを何度も干し、ついにはその巨眼を赤くし、それでもなお突き上げて来る感情に耐えていたが、やがて巨体をわずかに前へかがめ、小さく声をらした。声には抑揚がついている。楚歌の音律であった。激しく、かつ哀しい。
ちからは山を抜き、おほ
時に利あらずして
と歌ったあと、っているひざの手をとめ、不意に床をみつめた。やがて
すいかず
と、歌った。脳裏に敵の重囲が浮かび、手も足も出なくなっている自分の姿が、雷光らいこう射照いてらされるように映じたのに違いない。項羽の目にはふたたび涙が噴き出し、そのままふりかえって背後の虞姫ぐきを引き寄せ、
騅逝かざるを奈何いかんすべき
虞や虞やなんじ奈何いかんせん
と、うたいおさめた
力抜山けい蓋世 時不利けい騅不逝 騅不逝けい可奈何 虞けいけい奈若何
兮という間投詞が、言葉が切れるごとに入っている。兮は詩の気分に軽みをつける間投詞ではなく、むしろ作り手の項羽が、けい! と発声するごとに激情が一気にきとめられ、次いでつぎの句の感情に向かっていっそうに発揚する効果を持っている。項羽のこの場合の兮は、項羽のこの時の感情の激しさをあらわしているだけでなく、最後に虞姫に対し、その名を呼ぶことにいちいち兮を投入したのは、この詩が要するに、虞姫よ、この項羽の悲運などどうでもよい、この世にお前を残すことだけが恨みだ、というだだそれだけのことをこの詩によって言いたかったに違いない。
左右みな泣き、く仰ぎるものし、という。左右は、項羽が楚軍と自分自身の悲運をはげしく慷慨こうがいしたこととしてみな共感したといえるが、「虞兮虞兮」ととなえこまれた虞姫にとっては項羽が鉾を突き入れるようにして、彼女ひとりのために語りかけていると受け取ったであろう。
つまりは、死んでもらいたいということであった。
このあと、敵の重囲を突破するにあたって虞姫をともなうことの不可能さは彼女自身もわかっている。項羽そのひとの生命もあと幾日のものか、たれにもわからない。項羽のいのちの炎の激しさは、彼女をこの世に残して余人の手に触れることを戦慄して拒絶しているのである。
このことは、虞姫の心に了解りょうげされた。
彼女は項羽の願望と自分のそれが一つであることをあかすためにすぐさま立ちあがり、剣をとって舞い、舞いつつ項羽の即興詩を繰り返し歌った。
彼女が舞いおさめると項羽は剣を抜き、一刀で斬りさげ、とどめを刺した。
この男はそのまま帳をはねあげ、下へ下へと降りた。やがて騅に飛びると、闇をひずめで蹴破るようにして城門を走り出た。

2020/08/19

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