~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
烏 江のほとり (十八)
項羽は南下をかさねた。
途中、自分の首に懸賞がかかっていることを知り、その褒賞ほうしょうの大きさを聞いて多少の満足はした。
淮水わいすいを渡ったころは、途中、討たれたり落伍したりして、従う者は百余騎になっていた。
淮水を渡ると半ば楚の匂いがする。土地が湿潤で沼沢しょうたくが多い。陰陵<いんりょうspan class="eee">(安徽省定遠<ていえん県の西北)という地で、道に迷った。田の中にいた農夫に道を聞くと、手をあげて左を示した。項羽は、あざむかれた。漢軍の手はすでに陰陵の農夫にまでまわっていたのである。
左をとって行くと、大沢<だいたくの中に迷い込み、行くも水であり帰るも水中の一径<いっけいがあるにすぎない。
ひっかえして今日の定遠あたりに至ったは、沢中の騎走で多くは落伍し、従う者はわずか二十八騎になっていた。
漢の騎兵がせまった。
項羽が馬を立てて見るうちに、敵は数千騎になった。
「諸公よ」
項羽はそういう称<び方で、従う者を振り返った。
「わしは兵を挙げて以来、今日まで七十四戦を戦い、ことごとく勝った。そのわしが今日の窮地に立ちいたったのは天がわしを亡ぼそうとしているからである」
大沢の中に逃げ迷った時の自分の姿が、項羽にはよほどうとましかったに相違なく、それは天の為<すところで、わが武勇の弱さによるものではない、という。
そのうち、漢騎が項羽たちを幾重<いくえにも包囲した。
「諸公のためにその証<あかしを見せたい」
と言い、二十八騎を四隊にわけ、四方に対抗すべく円陣をつくった。さらには一戦ののち落ちあう場所も決めた。
項羽が号令をくだす前に、
── 諸公、あの将を討ち取ってみせる。
と言い、やがて号令をくだすとともに四方に突撃させた。項羽はそのうちの一方の先登を駈け、約束した敵将の一人を馬上から一気に斬りおとした。
数千騎の漢軍が散り乱れた。その漢軍の中から後に赤泉<せきせん侯に列せられる楊喜<ようきという将軍が馬を駈って出て来たが、項羽が目を瞋<いからせて一喝すると、人馬ともにけしとぶようにして数里も逃げた。
やがて落ち合う場所でも包囲された。項羽は味方に次の場所を指定したあと、丘を馳<せ下って漢の一都尉<といを斬り、包囲網を切り破って疾駆<しっくした。
一同、約束の場所に集まった時、この「作戦」でわずかに二騎を失っただけであった。項羽は破顔して、
「証拠は存分に見てくれたはずだ」
と言うと、從騎はみな馬上で一礼し、大王のお言葉通りでございます、と心から言った。
このことは項羽のいわば遊びに過ぎなかったが、この状況下の彼にとって、これほど重要な事はなかった。生き残った二十六騎があるいは後世へ語り継ぐとき、この一事によって項羽の評価が決まるとこの男は考えたのである。
要するに、劉邦に亡ぼされたのではないということであった。
── 天が、楚王項羽を亡ぼしたのだ。
というふうに語られることに項羽は執着した。彼がこの世に思い残すことがあるとすればこの一点だけであり、歴史に向かってこれを叫んだと言っていい。戦国末期からこの大陸の文明にあっては、人々は歴史にどう語り継がれるかということで現世での言動を意識して規正する風<ふうが出て来ている。項羽もまたそれを意識したのである。
2020/08/20
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