~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 最も重視された「品格」
武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成であった。それに対して思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。
すでに武士の教育に美的な価値が重要な役割を占めていたことは述べたが、知性が教養人として欠かせないものであるにせよ、武士の教育の本質からいえば付随的なものだったのだ。知能が優秀なことはむろん尊ばれたが、知性を表すのに用いられる「知」という漢字は、主として「叡智」を意味し、単なる知識は従属的な地位しか与えられなかったのである。
武士道の枠組みを支える三つの柱は「智」「仁」「勇」とされ、それはすなわち「智恵」「仁愛」「勇気」を意味した。なぜならサムライは本質的には行動の人であるからだ。そのため学問はサムライの行動範囲の外におかれた。彼らは武士としての職分に関係する事のみ学問を利用した。宗教と神学は僧侶や神官にまかされ、サムライはそれらが勇気を養うのに役立つ場合に限って必要としたのである。あるイギリスの詩人が言ったように、サムライは「人間を救うのは教義ではない、教義を正当化するものは人間である」と信じていた。また哲学(儒学)と文学は武士の知的訓練の主要な部分を形成してはいたが、これらの学問でさえ、追及されたのは客観的事実ではなかった。文学は暇をまぎらわす娯楽として求められ、哲学は軍事問題や政治問題の解明のためでなければ、あとは品格を形成する実践的な助けになるものとして学ばれた。
以上述べたことから、武士道の教育科目が、主として剣術、弓術、柔術もしくは「やわら」、乗馬、槍術、戦略戦術、書道、道徳、文学、歴史などだったとしても、驚くに値しないだろう。これらのうち柔術と書道については多少の説明がいる。書道が優秀なことは大いに重んじられたが、それは日本の文学が絵画的性質をもっており、それ自体が芸術的な価値があったからであろう。また、書体はその人の人格を表すものと信じられていたからである。さらに柔術を簡単に定義すると、攻撃や防御のための解剖学的知識を応用するということになる。柔術は筋力に頼らない、という点で相撲とは異なる。また、いかなる武器をも使わないという点で、ほかの攻撃方法とも異なる。その技は、相手の身体の一部をつかんだり、叩いたりして、相手を気絶もしくは抵抗できないようにするものである。その目的は敵を殺すことではなく、一時的に行動できなくさせることであった。
2020/09/13
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