~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 魂と武勇の象徴としての刀
武士道にとって刀は魂と武勇の象徴であった。マホメットは「剣は天国の鍵でもあれば、地獄の鍵でもある」と宣言したが、その言葉は日本人の感情の反映にすぎなかった。
サムライの子は、ごく幼い頃から刀を振ることを習った。五歳になると武士の正装を身につけさせられ、碁盤の上に立たされて、それまで遊んでいた玩具のかわりに本物の刀を腰に差すことを許された。これによりサムライの仲間入りを認められたのだ。その日はその子の忘れられぬ記念日となった。
この「武門の入り」の儀式がとり行われた後は、その子はサムライのしるしである刀を携えることなく屋敷の外へ出かけることはなかった。だが普段は、そのほとんどを銀塗の木剣で代用した。ほどなくその子は、鈍刀とはいえ本物の刀を差すようになる。偽物は捨てられ、新しく得た刀よりも鋭い喜びを表し、外へ出て、木や石を相手にその切れ味を試すようになるのだった。
十五歳で元服し、独り立ちの行動を許されると、彼はいまやどんな働きのにも耐え得る鋭利な刀を所持することに誇りを覚えた。危険な武器を持つ、ということが彼に自尊心と責任感を与えたのである。「伊達に刀は差さぬ」── 輿に差した刀は、彼がその心中に抱く忠義と名誉の象徴であった。
大小二本の刀は、それぞれ大刀と小刀、もしくは刀と脇差と呼ばれ、いかなる時でも身辺から離れることはない。屋敷内では、書院か客間のもっとも目の付く場所に置かれ、夜は護身用として枕元に置かれた。刀はその持主のよき友として愛され、親しみを込めた名前がつけられた。そして敬愛の念が深まると、ほとんど崇拝の対象となったのである。
歴史学の父(ヘロドトス)は珍しい話として、キスタイ人が鉄製の三日月型の刀剣(偃月刀えんげつとう)に生けにえを供えたことを記録している。同様に、日本の寺社や名家でも刀を尊崇の対象として秘蔵しているし、ありふれた短刀にさえそれ相応の敬意が払われた。それゆえ、刀に対するいかなる無礼もその持主に対する侮辱とみなされ、床に置かれた刀をうっかりまたいだだけでも、責められた。
20200916
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