~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● みずからを献身する生涯
女性教育の基本は家を治めることに置かれた。かつての日本女性の芸事は武芸であれ、文学であれ、大抵は家のためのものであった。どんなに遠く離れていようとも、彼女たちの脳裏にはいつも炉辺ろばたがあった。家の名誉を守り、健全さを保つために、彼女たちはせっせと働き、命を捧げることもいとわなかった。夜も昼も、気丈夫きじょうぶに働き、しかも優しく、そして勇ましくも悲しい調べで、彼女たちは小さな自分の巣に向かって歌いつづけたのである。娘としては父のために、妻としては夫のために、そして母としては息子のために彼女たちは自分を犠牲にしたのだ。
このように彼女たちは、幼い時から自らを献身するように教えられたので、その一生は独立したものではなく、常に従属的な奉仕の生涯であった。その存在が夫の助けとなるならば、妻は夫と同じ舞台に上がり、夫の仕事の妨げとなるならば、幕の後ろに退くのである。
一人の若者がある娘を愛し、娘もまた同じ思いを若者に返したとする。だが、もし自分を愛することで、若者が義務を怠っていることを知れば、娘は自分の魅力をなくすために、その手で自らの美貌を傷つけることもあった。こうした例はけっして珍しくなかったのである。
武士の子女にとって妻の鑑とされた「吾妻あがつま」は、自分の夫に陰謀を企む男から横恋慕されていることを知った時、彼女はその不義の情事になびくとみせかけて、暗闇に中で夫の身代わりとなって、その男が振り降ろす刃の犠牲になるのだった。
若き大名(木村重成)の妻が自害する前に書いた次の手紙には、何の注釈もいらないだろう。

《同じ一樹の陰を求め、同じ一河の流れを汲む、これも他生のの縁とのことでございますが、一昨年より夫婦となり、影に添うように生きてまいりましたことこそ、うれしく存じます。この度、主家のため、もはや最期の御一戦のお覚悟のこと、陰ながらうれしく思っております。唐の項王と申す人は、世にも強気武将なれど、虞美人ぐびじんのために名残なごりを惜しみ、あの勇猛なる木曽義仲殿も松殿の局との別れを惜しんで悲劇を招いた由、聞いております。さればこの世に望みなきわが身にて、せめて御身ご存命のうちに最期の覚悟をいたし、死出の道とやらにてお待ち申し上げております。どうか秀頼公(豊臣秀頼)の多年にわたる海よりも深く山よりも高い、御恩をお忘れなきようお頼み申し上げます。妻より》
20200917
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