~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 武士階級における女性の地位 (一)
それでは武士道が制度として存在していた時代、女性の地位は本当に反逆を正当化するほど最悪であったのかどうか、それを調べてみよう。
私たちはヨーロッパの騎士が「神と貴婦人」も払った表面的な敬意によって、よく耳にする。だが、この二つの言葉の不調和はギボン(英国の歴史家)を赤面させ、さらにはハラム(英国の歴史家)に、「騎士道の道徳は淫らであり、女性に対するバカ丁寧さは下心を含んだものであった」と言わせている。か弱き女性に対して騎士道が与えた影響は、哲学者たちにとって多くの思索の糧をもたらした。
ギゾー(フランスの歴史家)は、封建制と騎士道は健全な影響をもたらしたと主張したが、これに対してスペンサーは軍事社会(軍事的でない封建制はありえない)においては、女性の地位は必然的に低く、社会が産業化されて初めてその地位は改善されると述べた。ギゾーとスペンサーと、日本ではどちらの理論が正しいのだろうか。この問題については両方とも正しいと断言できる。
日本の武士階級は約二百万人の武士に限られていた。その上に軍事貴族ともいうべき「大名」と、宮廷貴族である「公家くげ」がいたが、これらの身分の高い有閑貴族たちは名ばかりの武士だった。そして武士の下に農・工・商の一般の大衆がいて、平和的な仕事にいそしんでいた。したがってハーバート・スペンサーが軍事社会の特徴として示したのは、もっぱら武士階級に限られていたといってよいだろう。
一方、産業社会の特徴はそれらの上層と下層にあてはまった。このことは女性の地位をみるとよくわかる。というのも、女性の自由が制限されたのは武士階級だけだったからである。不思議なことに、社会階級が低くなればなるほど、たとえば職人の世界では、夫と妻の立場はより平等だった。また、もっとも身分の高い貴族の場合でも男と女の差異はあまり目立たなかった。その原因はおもに、有閑階級であった貴族たちが、文字通り女性化したので、性の差異を際立たせる機会がほとんどなかったからである。このようにスペンサーの学説は、かつて日本において十分に例証されたのである。またギゾーの説についていうと、彼の封建社会について述べた著書を読んだ人は、とくに高い身分についての考察であったことが思い当たるだろう。つまり「大名」と「公家」について適応するものである。
私の説明で、もし武士道における女性の地位がはなはだ低いとの印象を与えたとするなら、私は歴史における真実をゆがめたことになる。女性が男性と対等に扱われなかったことは間違いないが、差異と不平等を区別することを学ばなければ、この問題には常に誤解がつきまとうだろう。
それは男性の場合でも同じで、互いが平等であるのは法廷や投票の場合などであって、きわめて限られた機会でしかなかった。このように考えると、両性の平等論で心を煩わせるのは無駄に思えてくる。アメリカの独立宣言は、すべての人間は平等につくられていることをうたっているが、それは人間の知能や肉体的能力に関して言っているわけではない。かつてウルピアヌス(古代ローマの法律家)が「法の前では万人平等である」と言ったことを反復したにすぎない。つまり人間の平等の基準は、法律上の権利をいっているのである。
もし法律が女性の社会的地位を計る唯一の基準とするなら、女性の地位がどのあたりにあるのか説明するのは、体重を計るように簡単なことだろう。しかし問題はここにある。つまり両性の相対的な社会的地位を比較する時に、果たして正確な基準があるだろうか、ということだ。あるいは女性の地位を男性の地位と比べて、銀と金の価値を比較するような、数字で示すようなやり方が正しいのだろうか。
2020/09/18
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