~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 民衆に規範を示した武士道
武士道の徳目とくもくは私たち日本人一般の水準よりはるかに高いものである。だが、これまで私が見て来たものは、山並みのように聳え立っている武士道の徳目の中の、ひときわ秀でたほんのいくつかにすぎなかった。
太陽が昇りとき、先ず最初にもっと高い山々のいただきを紅に染め、やがて徐々にその光を中腹から下の谷間に投じていくように、初め武士階級を照らしたこの武士道の道徳体系は、時が経つにつれて、大衆の間にも多くの信奉者を引き付けていったのである。
民主主義は天性の貴公子をその指導者として育み、貴族主義は民衆の中によき貴公子の精神を吹き込む。「仲間に一人でも賢い者がいれば、みんな賢くなる。伝染力というものはそれほど早い」とエマソンが言ったように、美徳は悪徳に劣らず伝染する力を持っている。どのような社会的身分や特権も、道徳の感化力を拒むことは出来ない。
アングロ・サクソンの自由獲得の栄光については、いくらでも語ることは出来るが、その運動が一般大衆の中から高まりを得ることはごくわずかであった。それはむしろ地主階級や紳士たちによって導かれたのである。M・テーヌが「ドーバー海峡の向こう側(イギリス)で用いられる三音節の単語、つまりgen-tler-manはイギリスの社会を要約している」と述べているのは正しい。
だが民主主義はこのような言い方に対して、自信をもって反論するだろう。
「アダムが耕し、イブが織ったとき、いったい紳士はどこにいたのか」と。たしかに紳士はエデンの園にはまだいなかった。人類の最初の夫婦は、紳士がいなかったためにたいそう困り、そのため高い代償を払わなければならなかった。もし紳士がそこにいれば、楽園はもっと豊かな趣のある園になっていただろうし、アダムとイブは苦しみに満ちた経験をすることもなかったろう。すなわちヤハウェに対する負服従は、背信行為であり、不名誉であり、裏切りであったという苦い経験を。
過去の日本は、まごうことなくサムライが造ったものであった。彼らは日本民族の花であり、かつ根源でもあった。天のあらゆる恵み深い贈り物は、サムライを通してもたらされたサムライは社会的には民衆より高い所に存在したが、民衆に道徳律の規範を示し、むずから見本を示すことによって民衆を導いたのである。私は武士道に、武士のあるべき姿の奥義と通俗的な教訓の双方があったことを認めている。通俗的な教えは一般大衆の安楽と幸福を願うものであり、奥義のほうはみずからの武士道を実践するという気高い規律であった。
2020/09/19
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