~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 大衆の娯楽に描かれる気高き武士たち
ヨーロッパの騎士道がもっとも隆盛だったころでも、騎士に属する人口はごく一部であった。それでもエマソンがいうように、「英国文学においては、サー・フィリップ・シドニー(十六世紀の詩人)からサー・ウォルター・スコット(十九世紀の小説家)にいたるまでの戯曲の半分とすべての小説は、この人物すなわち紳士を描写している」のである。このシドニーとスコットを近松門左衛門と滝沢馬琴に置き換えると、日本文学史の主要な特色をきわめて簡単に言い尽くすことが出来る。すなわち、大衆の娯楽と教育の手段、芝居、寄席よせ、講談、浄瑠璃、小説などの主な題材はすべてサムライの話から取られているのだ。
農民はあばら屋のいろりを囲んで、義経と弁慶や、勇敢な蘇我兄弟の物語をあきることなく繰り返した。浅黒い腕白小僧たちは口をぽかんとあけて聞き入り、最後のまきが燃え尽き、残り火が消えても、いま聞いた物語に心を燃やすのだった。都会では番頭や丁稚でっちたちが、一日の仕事を終えて雨戸が閉められると、一つの部屋に集まって、夜がけるまで信長や秀吉の話に夢中になり、やがて睡魔が襲うと、彼らは店先の苦労から戦場の武勲へと誘われたのだ。よちよち歩きを始めたばかりのおさたちは、桃太郎の鬼退治の話をままならぬ舌で話すことを教わった。女の子でさえ、サムライの勇猛なる精神と気高い徳の心に魅了され、デズデモーナ(『オセロ』の登場人物)のように、サムライたちの物語にその耳を傾けたのだ。だからこそ、サムライは日本国民全体の「美しき理想の姿」となり、「花は桜木、人は武士」と俗謡に歌われたように、大衆のあこがれのまととなったのである。
そしてまた、武士階級は営利を追求することを禁じられていたため、武士が直接、商売の手助けをするということはなかった。だが、いかなる人間の活動にも、どんな思考の方法にも、サムライが遵守した武士道精神から影響を受けないものはなかった。日本人の知性と道徳は、直接的にも間接的にもサムライ自身がつくり上げたものだったといえるのである。
マロック(英国の社会学者)は示唆に富んだその著書『貴族主義と進化』の中で、「社会の進化とは、それが生物の進化と別のものである限り、偉大な人々の意志から生じた無意識の行為の結果と定義されるだろう」と述べている。そしてさらに、歴史の進歩とは「社会一般の間における生存競争でなく、社会の少数派の人々が、大衆を最善の方法で導き、管理し、働かせようとする競争によって生み出される」と語っている。これらの説の批評はさておき、以上の見解は、武士道がわが国の社会発展に貢献してきた事実によって十分に証明されるだろう。
2020/09/19
Next