~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 維新の元勲たちのサムライ精神
武士道は、無意識の抵抗できない力として、日本国民の一人ひとりを動かして来た。たとえば近代日本の輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が、処刑前夜に詠んだ次の歌は、日本国民の心からの叫びだったと言える。
かくすれば かくなるものと 知りながら
   やむにやまれぬ 大和魂
武士道は形式こそ整えていなかったが、過去も現在も、わが国民を鼓舞こぶする精神であり原動力なのである。
ランサムはこう述べている。
「今日、三つの別々の日本が並んで存在している。古い日本は完全に死に絶えてはおらず、新生日本は精神面以外はまだほとんど生れていない。過渡期の日本は、現在もっとも重大な葛藤をしている」
この言葉は多くの点で、とくに目に見える具体的な諸制度に関しては真理をついているが、いくつかの修正が必要である。なぜなら古き日本の建設者であり、その所産であった武士道は、いまなお過渡期の日本を指導する国民的原理であり、新時代を形成する力を発揮するであろうからだ。
王政復古嵐と、遺臣回天のうずの中で、日本という船の舵をとった偉大な政治家たちは、武士道以外の道徳的教えをまったく知らない人々であったことが、それを証明する。
最近、何人かの著者が、キリスト教の宣教師たちが新生日本の建設に大きな貢献をしたことを証明しようとした。私は名誉を与えるべき人には名誉を与えるが、これらの善良な宣教師たちには、まだこの名誉は与えるわけにはいかない。
なぜなら裏付けのない証拠を持ち出して要求するより、名誉をもって互いを優先するという聖書の教えに従うほうが。彼らの職務にふさわしいと思うからである。
私流にいうなら、宣教師たちは日本のために、教育、とくに道徳教育の領域で立派な仕事をしていると信じている。だが神秘的だが確かな聖霊の働きは、いまなお神秘なベールに包まれているのである。彼らがいかなる仕事をしようとも、それは間接的な影響にとどまる。いや、いまのところキリスト教の伝道は新しい日本の特性を形成する上で、目立った影響はほとんど及ぼしていないといってよいだろう。
善きにつけ悪しきにつけ、私たちを駆り立てるものは純粋で単純な武士道精神そのものであったというべきなのだ。
試みに、近代日本を建設した人々の伝記をひもといてみるがよい。佐久間象山、西郷隆盛、大久保利通、古語孝允はいうにおよばず、現存する伊藤博文、大隈重信、板垣退助らがどのようにして偉勲なったのか。それらを読めば、彼らがいかに武士道のサムライ精神に突き動かされたかがわかるだろう。
ヘンリー・ノーマン(英国の旅行家)は極東事情を研究し、さらに観察した後、日本がほかの東洋の専制諸国と異なる唯一の点は、「人類が考え出したことの中で、もっとも厳しく、もっとも高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力を及ぼしたこと」にある。と断言している」。このとき、ノーマンは今日の新生日本を作りあげ、将来あるべき姿に導くであろう中心的な力に触れたのである。
日本の変貌はいまや世界が知る歴然たる事実である。このような壮大な事業には、さまざまな動機が入り交じっているが、その最大のものを挙げろといわれれば、私は躊躇ちゅうちょなく武士道を挙げる。武士道こそ維新回天の原動力だったのである。
日本が外国貿易を開放し、生活のあらゆる部分に最新の改良を取り入れ、西洋の政治や学問を学び始めた時、私たち日本人を動かしめた原動力は、けっして物質資源にの開発や富の拡大ではなかった。ましてや西洋の習慣を模倣するためではなかったのである。
東洋の諸制度や民族を詳しく観察したタウンゼントは、こう書いている。
「われわれは毎日のように、ヨーロッパがいかに日本に影響を及ぼしたかを聞かされるが、日本の変化はまったく自発的なものだったことを忘れている。ヨーロッパ人が日本に教えたのではなく、日本人自らがヨーロッパの政治・軍事の制度を学んだのである。それが今までのところ立派に成功を収めているのだ。数年前、トルコ人がヨーロッパの大砲を輸入したように、日本はヨーロッパの機械工学を輸入した。だがそれは正確にいえば影響というべきものではない。たとえば、イギリスが中国から茶を購入したからといって、それで影響を受けたことになならないのと同じことである。日本を作り替えたヨーロッパの伝道師や哲学者や扇動家がいるというのなら、別だが」
タウンゼントは、日本に変化をもたらしたその行動の源泉が、日本人自身の内なる力だったことを見抜いていた。もし、彼が日本人の心情をもっと深く探っていたら、劣等国として見下されることに耐えられない名誉心、これが日本人の動機の最大のものであった。殖産興業という考え方は、そうした過程の中で後から生まれたものなのである。
2020/09/21
Next