~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 武士道を体系化した唯一の思想書
武士道というと、多くの人は、キリスト教における『聖書』、儒教における『論語』、あるいはイスラム教における『コーラン』といったように、特別な書物があるように思われているが、本文にも記されている通り、「これぞ武士道」として成文化されたものがあるわけではない。
武士道は、あくまでも日本の長い封建風土のなかで、武士のあるべき姿として自然発生的に培養され、そのつど時代に即応して研鑽けんさんされ、やがては“武士の掟”となった不文不言の倫理道徳観であった。いうなれば武士道は、サムライがつくり、サムライによって育てられ、その育て上げた武士道がさらなるサムライを鍛え上げるといった、日本固有の修養精神だったといえる。
武士道精神を述べたものには、江戸時代においても、山本常朝が著した有名な『葉隠はがくれ』をはじめ、山鹿素行の『山鹿語類』、井沢蟠龍の『武士訓』さらには大道寺友山の『武道初心集』などいくつかの書物があるが、それらは武士の処世訓といったもので、武士道そのものを体系的に網羅してあるわけではない。また、ごく限られた範囲の中でしか読まれていなかったので、日本人全体の精神を表わしたものとはいえなかった。
しかも、武士道論議が盛んになったのは、その主体である武士階級が消滅した明治時代になってからのことで、江戸期においてはそれほど声高に叫ばれていたわけではない。せいぜい著名な君主や特定の武士の遺訓といったものを“戒め”として口伝くでんしたにすぎなかったのである。
ところが、明治になって怒涛どとうのごとく西洋の新しい価値観が導入されはじめると、社会全体がことごとく文明開化の波にまれて西洋化していった。その変わりゆく姿を見て、心ある人々が「日本人とはなにか」を問い直し、失われゆく日本人の伝統精神を振り返った時、改めて和魂としての「武士道」がもてはやされるよjになったのである。それは、今日の日本が国際化とかグローバル化といわれ、あらためて世界の中の日本を考えた時、オリジナルの国家意識や伝統精神を煮直そうとするのと同じ発想だったといえる。
では、今日、一般的に武士道といった場合、われわれは何をもって理論的支柱にしているのかといえば、この新渡戸稲造の『武士道』をもって一般には膾炙かいしゃされているのである。なぜなら、この本こそ、武士道精神を体系的かつ総括的に述べた唯一の思想書となっているからである。
2020/09/25
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