~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● プロテスタンティズムと武士道精神
しかし、それにしても武士道で育った新渡戸や内村らが、なぜいとも簡単にキリスト教に入信したのか。
一見、不思議な気もするが、プロテスタントの精神というものを調べてみると、それはむしろ当然だったと言うべきかもしれない。なぜなら、プロテスタントの精神というのは質素倹約を旨として、自律・自助・勤勉・正直をモットーとする「自己の確立」を養成しるもので、それは武士道の精神と根本的に相通じるものがあったからだ。
別言するなら、彼らは人格形成としての武士道を幼き頃から道徳律として叩き込まれていたために、キリスト教と武士道がその徳目において二律背反するものではないということを理解すると、武家社会が崩れて「君主」がいなくなった今、その代わりとして「神」という新しき主を得た、ともいえるのである。
その証拠に、新渡戸の親友である内村鑑三は、武士道とキリスト教との関係において、「自分の場合は、武士道という精神的土壌が、ぎ木における台本となり、その台本にキリスト教が接ぎ木されたにすぎない」との旨を語っている。内村にとって武士道は「人の道」、キリスト教は「神の道」という違いはあったが、その根は同根であり、目指す方向も同じだったのである。とはいえ、両者はすべてが似ていたわけではない。決定的な違いは、武士道には「ゴット」と「聖書バイブル」がなかったことである。
だからこそ新渡戸は、日本人の伝統的精神を集大成するにあたって、「人の道」である武士道と「神の道」であるキリスト教を比較しながら、いまだ成文化されていなかった武士道精神を“日本の伝統的精神”としてとらえ直し、日本人の道徳規範バックボーンの書、すなわち「和製聖書」を世界に見せようとしたのではないか、と私は思っている。
2020/09/26
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