~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 義を見てせざるは勇なきなり (一)
勇気は、義のために行われるものでなければ、徳の中に数えられる価値はないとされた。
孔子は『論語』において、よく使う彼一流の否定的な論法で「勇」の定義を、「義を見てせざるは勇なきなり」と説いた。この格言を肯定的にとらえるなら、「勇とは正しきことを すこと」である。
だが、あらゆる種類の危険を冒し、一命を投げ出し、死の淵に臨む、といったことは、しばしば勇気と同一視されるが、武器を用いる職業の者にあっては、このような猪突猛進の行為は称賛に値しない。シェクスピアーが「勇気の私生児」と呼んだ如く、武士道でも死に値しない者のために死ぬことは「 犬死 いぬじに 」とされた。
「戦場に飛び込み、討死するのはいともたやすきことにて、身分の いや しき者にも出来る。生きるべき時は生き、死ぬべき時にのみ死ぬことこそ、真の勇気である」と水戸義公( 光圀 みつくに )は言った。が、義公がその名前すら聞いたことのなかったプラトンも、勇気とは「恐るべきものと、恐れるべきでないものを識別すること」だと定義している。西洋でいうところの道徳的勇気と肉体的勇気の区別は、わが国にあっても昔から認識されていた。いやしくも武士の少年で、「大義の勇」と「 匹夫 ひっぷ の勇」について聞いたことのない者がいたでろうか。
剛胆、不屈、勇敢、大胆、勇気などは、少年の心にもっとも浸透しやすい心情として、訓練や鍛錬によって鍛えられたものであった。それらは少年たちの間で幼き頃から競わさる、もっとも人気のある徳目であったのだ。
軍記物語などで勇気ある者が手柄を立てる話は、少年たちが母親の胸に抱かれている頃から繰り返し聞かされた。もし小さな子供が何かの痛みで泣けば、母親は「これしきの痛みで泣くとは、なんという臆病者でしょう。戦で腕を切り落とされたら、どうするのですか。切腹を命じられたらどうするのですか」と励ますのが常であった。
『先代萩』の中に登場するまだいたいけない幼君が、いじらしくもひもじさに耐える話は日本人ならだれでも知っている。幼君は小姓にこう言ったのだ。
かご の中の小さな すずめ をごらん。黄色いくちばしを、なんて大きく開いているのだろう。それに、ほら!親鳥が餌をくわえてきて食べさせている。子雀たちはなんておいしそうに楽しく食べていることか。でも、サムライは腹が減っても、ひもじいと思っては恥なのだ」
忍耐と勇気の逸話は、おとぎ話にも数多く見られる。親は時には残酷とも思えるほどの厳しさで、「獅子はその子を 千尋 せんじん の谷底に突き落とす」と教え さと し、子供たちの胆力を鍛えた。武士の子はあえて試練をあたえられ、ギリシャ神話のソジフォスのような 苦役 くえき を味あわされるのだった。時には食べ物をあたえられなかったり、寒気にさらされたりすることも、子どもたちの忍耐を鍛えるための試練とされた。 年端 としは もいかない子どもを、全く面識のない人の所へ使いに出したり、冬の最中、早朝に起し、師匠のもとに素足で通わせ、朝食前の 素読 そどく の稽古をつけてもらうこともあった。
あるいはまた少年たちは、月に一、二度の天神様の祭りなどでは、少人数で集まり、夜通し寝ずに輪読をした。処刑場、墓場、幽霊屋敷などの薄気味悪い場所へ出かけることも、彼らにとっては楽しい遊びであった。斬首刑が公衆の面前で行われていた時代には、少年たちはその恐ろしい光景を見に行かされただけでなく、夜遅くなってから一人でその場所を訪れ、さらし首に証拠の印をつけてくることを命じられた。
この超スパルタ式の「度胸を叩き込む」やり方は、現代の教育者に恐怖と疑問を抱かせるかもしれない。こんなやり方では人の心の優しい感情を踏みにじりはしないかと疑問である。そこで私は、武士道が勇気について、他にどのような考え方を持っているか、次の章で述べることにする。
2020/09/06
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