~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 「仁」が王者の徳といわれるのは何故か
愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂が持つあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認められて来た。それは二重の意味で「王者の徳」とされている。なぜばら、それ自体が多くの徳目の中もとくに光り輝く德であり、偉大なる王者にこそふさわしい徳であるからである。
私たちはシェクスピアが登場しなくとも、「慈悲は王冠よりすぐれた君主である」とか、「慈悲は笏杖しゃくじょうをもった王の統治よりすぐれている」といった言葉の意味を感じてはいたが、世界中の人々にあまねく知らしめるためには、彼のこのレトリックを必要としたのである。孔子や孟子も、民を治める者が必ず持たねばならない最高の徳として、この「仁」を幾度となく説いている。
孔子が言う。
「君子はまず德を慎む。徳ああればここに人あり、人あればここにあり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。德はもとなり、財はすえなり」
さらに言う。
かみ仁を好みて、しも義を好まざる者あらざるなり」と。
孔子につづく孟子も、言う。
「不仁にして国を得る者はこれあらんも、不仁にして天下を得る者はいまだこれあらざるなり」
そしてさらに、「天下心腹せずして王たる者は未だこれあらざるなり」と。
二人とも天下を治める者の不可欠な条件として、この仁の徳を説き、「ゆえに仁はじんなり」と定義した。仁がなければ人ではない、と。
往々にして封建制度は武断政治に陥りやすいが、その体制のもとでも最悪の専制政治から人民が救われたのは、この「仁」の精神があったからである。統治される側が「生命と肉体」とを無条件で捧げる時、そこには統治者の強力な意志だけが残る。そして、その必然的な結果として、専制政治は絶対主義をもたらす。ヨーロッパ人はこれをしばしば「東洋的専制」と呼んだ。まるで西洋史には一人の専制君主もいなかったように!。
私はいかなる種類の専制政治をも断じて支持する者ではない。だが、封建制と専制政治を同一視するのは間違いである。フルードリヒ大王(プロセインの王)が「王は国家の第一の召使である」と記した時、法律学者たちは、自由の発達が新しい時代をもたらしたのだと、正しく評した。
不思議にも時を同じくして、日本の東北の山間部にある米沢では、藩主として上杉鷹山ようざんが現れ、これを全く同じ宣言をした。「国家人民の立てたる君にして、君のために立てたる国家人民には之無候これなくそうろう」といって、封建制がけっして暴政や圧政ばかりではなかったことを証明したのだ。
封建君主は自分の家臣と相互の義務を負うとは考えていなかったが、それ以上に先祖や天に対して高い責任感を抱いていた。つまり君主は領民の父であり、天から領民の保護を預かっている者と思っていたのである。
古代中国の『詩経』によれば、「いんの王室が人心を失うまでは、彼らは天の前に現れることができた」とある。さらには孔子は『大学』の中で、「民の好むところを好み、民のにくむところを悪む、これを民の父母という」と教えている。
このように民衆の世論と君主の意志は一致し、と民主主義と絶対主義とは互いに折り合っているのだ。しかるにまた武士道も、一般に言われる意味とは別に、世襲政治を受け入れ、それを是認している。
それは、あまり関心をもたれない“アンクル・サムの政治”に対する意味でも、より父権的であった。簡単にいえば専制政治と世襲政治との違いはこうである。つまり前者では人民は不本意な服従を強いられるが、後者では「かの誇り高き従順、かの気品ある帰順、隷従の中にあってさえ、高き自由の精神を生き生きと保つ心服」によって従うのである。イギリスの国王をさして「悪魔の王」と呼び、「それは家臣がたびたび君主に反逆して、その王位を奪うから」とか、フランスの国王を「ロバの王、すなわち租税や賦課ふかを無限に負わせるから」ともいう。そしてスペインの国王には「人間の王という称号を与える。なぜなら臣下が進んで服従するから」などという古いことわざがあるが、これらはかならずしも間違っているわけではない。だが、専制政治と世襲政治とは明らかに違うのである。
徳と絶対的権力とは、アングロ・サクソンには相容あいいれない言葉のように響くかも知れない。ポペドノスツェフはイギリスと他のヨーロッパ諸国の社会の基礎を比較して、ヨーロッパ諸国の社会は共通の利益を土台としてつくられているが、イギリスの社会はよく発達した個人の独立の人格によって築かれている、と分析した。このヨーロッパの政治家は、ヨーロッパ諸国の、とりわけスラブ民族の間では、個人の人格は何らかの社会的連合からなり、窮極的には国家に依存すると述べている。
このことは日本人の場合は二重の意味で真実である。日本では主君が権力を自由に行使することは、ヨーロッパほど重圧とは思われず、むしろ領民の感情に対する父権的な考慮として穏やかなものに感じられていたのである。
ビスマルク(ドイツの政治家)は、「絶対主義に第一に必要なのは、統治者が公平かつ正直で、義務感が強く、精力的で謙虚なことである」と言っている。この問題について、もう一つ引用を許してもらえるならば、ドイツ皇帝のコブレンツにおける演説をあげたい。この中で皇帝は、「神の恩恵により与えられた王権は、創造主に対してのみ、重い義務と責任を負う。したがって、いかなる人も、いかなる大臣も、議会も、項王からこれを免除することは出来ない」と述べている。
2020/09/07
Next