~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 「武士の情け」とは力ある者の慈悲
仁は、優しく柔和で母のような徳である。高潔な義と厳しい正義が男性的であるとするなら、仁における慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。だが、サムライたひは正義や公正さを持つことなしに、むやみに慈悲に溺れることを戒められた。伊達政宗がいったという、「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」との有名な言葉は、このことを表している。
幸いにも、慈悲は美しいものであるが、珍しいものでもなかった。なぜなら「もっとも勇気のある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である」ということが、普遍的な心理とされていたからである。
だから「武士の情け」という言葉には、私たちの高潔なる心情に訴える美しい響きがあった。したがって、サムライの慈悲が他の人々の持っている慈悲と種類が異なっていたというわけではない。それはサムライの慈悲が盲目的な衝動にかられるものではなく、常に正義に対する適切な配慮を含んでの慈悲であったからだ。さらにいうなら、その慈悲はたんなる心のある状態にとどまらず、もっと厳しい生殺与奪せいさつよだつの権力をもった慈悲を意味していた。武士の慈悲には、受け手の利益や損害をもたらす力が含まれていたからである。
なぜなら武士は自らの武力や、それを行使できる特権を誇りにしながらも、同時に孟子の説いた仁の力に同調していたからである。孟子は言う。
「仁の不仁に勝つは、なお水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、なお一杯の水をもって、一車薪いつしやしんの火を救うがごとし」
さらに言う。
惻隠そくいんの心は仁のはじめなり」と。
それゆえに孟子は、仁の心を持っている人はいつも、苦悩する人、辛苦に耐えている人、弱き人々を思いやる人だ、と説いたのである。道徳の基礎を仁(慈悲)においた孟子の哲学は、アダム・スミス(英国の経済学者)の思想よりも先んじた、人間愛の思想だったと言ってよいだろう。
一国の武士の名誉の掟が、他国のそれといかに密接に関係しているかは、実に驚くべきものがある。別言するなら、ひどく誤解されてきた東洋の道徳観念が、実のところはヨーロッパ文学のもっとも高貴な格言と、符合するものがあるということだ。
敗れたる者を慈しみ、おごれる者をくじき、
平和の道を立てること、これじぞ汝のわざ
このように知られた一節を日本の紳士に見せたら、その紳士は躊躇なく、このマントバの詩人(ヴェルギリウス)を自国の文学から盗作したとして告発するかも知れない。
2020/09/07
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