~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 武勲を捨て去った強者の物語
か弱き者、破れたる者、虐げられたる者への仁の愛は、とくにサムライに似つかわしいものと称揚しょうようされた。
日本美術の愛好者なら、牛に後ろ向きに乗った一人の僧の絵画を知っているだろう。この僧は、かつてその名を口にするだけでも震えあがらせた武士であった。熊谷直実なおざねという。
わが国の歴史上、激戦の一つに数えられる須磨の浦の戦い(1184年)のさなか、この武士は一人の敵に追いつき、一騎討をいどみ、相手を両腕で組み伏せた。こうした場合、戦いの礼儀として、相手の身分が高いか、こちらと力量が同程度の者でなければ、血を流さないことが作法だった。この屈強な武士は相手の素姓を知ろうとしたが、相手がかたくなにこばんだため、容赦なくかぶとをはぎ取った。見るとまだひげも生えていない美しき若武者(平敦盛あつもり)の顔だった。直実は驚いて手をゆるめ、この若者を助け起こし、父親が諭すように、この場から立ち去るようにと告げた。
「あなうるわしの若殿や、御母の許へ落ちさせたまえ、熊谷の力は和殿わどのの血に染むべきものならず。敵に見咎みとがめられぬ間に、とくとく逃げ延びたまえ」
だが、若者は逃げることを拒み、あらんことか二人の名誉のために、この場で自分の首を斬ってくれるようにとうのだった。白髪の強者つわもの直実の頭上には振りかざした氷の刃が光っていた。それはこれまで数多くの生命を奪った刃だった。直実の勇猛な心がゆるんだ。一瞬、脳裏に彼の息子の姿が浮かんだからだ。まさにこの日、彼の息子もホラ貝の合図とともに初陣いうじんを飾っていたのであった。
直実の強靭な腕がわなわなと震えた。直実はいま一度、逃げ延びたまえと懇願こんがんした。だが、若者は首を横に振るだけだった。やがて味方の軍勢が地響きを立てながら押し寄せて来るのがわかった。直実は叫んだ。
「今はのがし参らじ、名もなき人の手にうしなわれたまわんより、同じうは直実が手にかけ奉りて、後の御孝養をつかまつらん。一念阿弥陀仏、即滅無量罪」
その瞬間、空中に白刃が舞い、振り下ろされた時、それは若者の血で赤く染まっていた。
戦いが終り、この武士は凱旋がいせんした。だが、いまの彼には栄誉や報奨には関心が向かなかった。直実は輝ける武勲の強者という名を捨てて、頭を丸め、僧衣をまとい、余生を念仏行脚あんぎゃに明け暮れる出家者となったのだった。
2020/09/07
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