~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 恥の感覚こそ、純粋な德の土壌
名誉という感覚には、人格の」尊厳と明白なる価値の自覚が含まれている。名誉は武士階級の義務や特権を重んずるように、幼児の頃から教え込まれ、武士の特質をなしものの一つであった。
今日、名誉(honour)と訳されている言葉は、その時代、頻繁に使われたものではない。その観念は「名」「面目めんもく」「外聞がいぶん」といった言葉で表現されていた。これらの言葉は聖書で用いられている「ネーム」、ギリシャ語の仮面から生じた「人 格パーソナリティー」および「名声フェイム」を連想させる。
高名 ── 人の名声。「人としてもとも大切なもの、これがなければ野獣に等しい」という思いは、当然のこととして、高潔さに対する屈辱を恥とするような感受性を育てた。そして、この恥の感覚、すなわち廉恥心れんちしんはた。
少年たちの名誉心に訴えるこのやり方はサムライが少年時代から最初に教えられる德の一つであった。「笑われるぞ」「名を汚すなよ」「恥ずかしくはないのか:といった言葉は、過ちを犯した少年の振舞いを正す最後の訴えであっ、あたかも彼が母胎にいるころから名誉で養われたごとく、子どもの琴線きんせんを刺激した。なぜなら、名誉は家柄を尊ぶ強い家族意識と、密接に結びついているからである。そのことをバルザックは「家族の結束を失うことで、社会はモンテスキューが名誉と名づけた根本的な力を失ってしまった」と言っている。
実際には、羞恥心しゅうちしんという感覚は、人類の道徳意識のうひでも、もっとも早い徴候ちょうこうではなかったかと私は考えている。あの“禁断の実”を味わった結果、人類に下された最初にして最後の罰は、子を産む苦しみでもなく、イバラやあざみのトゲでもなく、羞恥の感覚の目覚めだった。人類の最初の母(イブ)が胸を揺すり、指を震わせ、愁いに沈む夫が持ち帰ったイチジクの葉を、そまつな針でっている光景ほど悲哀に満ちた姿は、そてまでの歴史でなかったことである。この不服従の最初の果実は、たとえようのない執拗さで私に迫って来るのだ。人類のいかなる裁縫の技術をもってしても、私たちの羞恥心を効果的に覆い隠すエプロンを縫うことはいまふぁに成功していないのである。
新井白石が少年時代に受けたわずかばかりの屈辱に際して、自己の人格を傷つけられることを拒んだことは正しかった。彼は「不名誉は樹木の切口のように、時はこれを消さず、かてってそれを大きくする」と言ったのだ。あるいはカーライルが「恥は、あらゆる徳、立派な行い、善き道徳心の土壌である」と言ったように、孟子もまた「恥悪しゅうおの心は義のはじめなり」と何世紀も前にまったく同じ意味の言葉を説いていた。
わが国の文学には、シェークスピアが劇中ノーフォークに言わせたような雄弁こそなかったが、辱しめられることの恐怖は、サムライにとってはなはだ大きなものであった。それはあらゆる武士の頭上にダモクレスの剣のようにつるされ、時には病的とも思えるものだった。そのためか、サムライは名誉のために、武士道の掟を踏み越えるような行為をすることもあった。極めて些細な、というより侮辱を受けたとの妄想から、短気な慢心者は腹を立てて刀を抜いた。このことで多くの無用の争いを起し、罪もないあまたの命を奪った。
たとえば、ある町人が武士の背中にノミがついているのを見つけ、親切心で教えたところ、武士はたちどころにこの町人を真っ二つに斬ってしまった。「ノミは畜生に寄生するものである。高貴な武士を畜生同様にいうのはけしからん」というのが斬った理由だった。
だが、私はこのような話はあまりにも馬鹿げていて、にわかには任じ難い。ただ、このような話が流布したのには、次の三つの理由があるように思える。
一、この話は平民をおどすために作られたこと。
二、武士の名誉という特権が実際以上に乱用されて伝わったこと。
三、武士の間に極めて強い恥を知るという感覚が発達していたこと。
異常な例を挙げて武士道を非難するのは、明らかに公平ではない。これは宗教的狂言や信仰の盲目結果、すなわち異端審問や偽善から、キリスト教の真の教えを判断するのが公平でないのと同じことである。さりとて、宗教的偏執へんしゅうにも、酔っ払いの狂態に比べればなにかしら心に触れるものがあるように。サムライの命とに関する極端なまでの敏感さにも、純粋な德の下地があるように私には思われるのであるが。
2020/09/11
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