~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● わが子の犠牲をも厭わない忠誠
それはわが国の歴史上有名な人物である、菅原道真にまつわる話(菅原伝授手習鑑)である。
道真は嫉妬と中傷の犠牲となって京の町を追放された。だが、無慈悲なる彼の敵はこれだけでは満足せず、さらにその一族をも根絶やしにしようとたくらんだ。そして、まだいたいけな道真の子どもを厳しく探索し、かつて道真の家臣であった武部源蔵の寺小屋にかくまわれていることを探り出した。
敵方は源蔵に、この幼い罪人の首を定められた日に引き渡すよう厳命した。その時源蔵が考えついたことは、その子の身代わりを見つけるという事だった。源蔵は寺小屋の入門帳を開いて思案し、通って来る幼童たちを注意深く吟味した。だが、田舎育ちの子どもたちの中には、だれ一人として若君に似ている子はいなかった。
だが、その絶望もほんのひとときであった。というのも、見よ!年恰好も若君と同じくらうで整った顔立ちの子どもが、上品な物腰の母親に伴われて、寺小屋へ入門して来たのだ。
若君と新しい入門者とがよく似ていることは、その母親とその子自身も気づいていた。源蔵の目のふれぬ所で、息子はその命を、母親はその心をもって、みずからを神仏の祭壇に捧げる決意をしていた。だが二人はそんな素振りはつゆほども見せなかった。
源蔵は、二人の間で何が行われているかも知らずに、身代わりのことを考えていた。そして、その子を見て、ここに贖罪しょくざい山羊やぎが決まったのだった。
この物語の後半は手短に述べよう。
さて、定められた日に、若君に首を確かめ、受け取るための役人(松王丸)がやって来た。役人はその首が偽物と気づくだろうか。哀れなる源蔵は、もしこのたくらみが露顕したならば刀を持って斬りかかるか、自害しようと、つかに手にかけていた。役人は前に置かれた身の毛もよだつ物体を取り上げ、特徴を一つ一つ静かに吟味した。そして、おごそかな声で、その首がホンモノだと告げた。
その晩──。誰もいない家で、寺小屋で見たあの母が何かを待っていた。その母親はわが子の運命を知っているのであろうか。表戸が開くのを息をこららして母親が待っているのは、わが子の帰りではなかった。
彼女のしゅうとは長く道真公の恩顧を受けていたのだが、道真公の追放の後、彼女の夫はやむを得ない事情があって、かつての主君の敵側に仕えていた。されども夫はいまの主君にも不忠を働くことは出来なかった。そこで彼の息子を祖父の恩人に報いるため役立てたのであった。そして皮肉にも、流人るにんとなった道真公の家族と顔見知りであるとの理由から、若君の首実権をする役目を命じられたのである。
その一日の、いやその生涯にとって、もっとも辛い役目を終えて夫が帰って来た。そして、敷居をまたぐや否や、妻に呼びかけて言った。
「喜べ、われらが愛しき息子は立派にお役に立ったぞ!」

「なんと残酷な物語!」と読者の叫び声が聞こえて来るようだ。「他人の子どもの命を救うために、何の罪もない自分たちの息子を犠牲にするとは!」
だが、しかし、この子は承知の上で、みずから進んで犠牲になったのである。これは身代わりとして死ぬ物語であり、『旧約聖書』に出て来るアブラハムはイサクを犠牲にしたような話と同じぐらい意義深いもので、それ以上に嫌悪すべきものではない。どちらの場合も、義務の命じるところの従順、天から下された声に絶対的な服従をしたにすぎないのである。たた、伝えた声の主が目に見えるか否か、あるいは聞いた耳が外の耳か内の耳かという違いがあるだけだが、私の説教は差し控えておこう。
2020/09/12
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