~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
牡 丹 の 客 (一)
平忠盛と嫡子清盛以下平氏一族と家臣の居館が占める六波羅とは、鴨川の東から北は五条松原、南は七条通までの広大な土地で、いまの六波羅蜜寺も方広寺も京都国立博物館もかつての平家の館の跡に建っている。
平忠盛が知行ちぎょう(支配)していた伊勢から大番役おおばんやく(皇居守護の武士団)で京に上った時、六波羅密寺の塔頭たっちゅう(境内の小寺)を宿所としたのに始まって、やがて同族の根拠地となった。
忠盛は武士ながら商魂もたくましく、日本来航の宋船のもたらす唐錦からにしき、唐墨、唐毛氈もうせん、虎の皮など貴族にもてはたされる品に目をつけ日宋貿易に着手し、巨万の富を得て、千体の観音をまつる得長寿院を建立こんりゅうして、鳥羽上皇に献上した褒賞に、破格の昇殿を許された際は、殿上人の伝統を犯された反感を公家たちに抱かせても、たじろぎもせぬ人物だった。
この辣腕らつわんの父を持つ清盛は父の財力によって恵まれた貴公子生活だった。
清盛は生れて三歳の時に若くて逝った生母の美貌と、父忠盛の眇目すがめであったが聡明な気性の溢れる眉目を受けた美青年だった。
彼は十九歳で宮中の文書を扱う中務なかつかさ省の大輔たゆう(次官)になった。
この息子に妻帯させようと考えたのはその頃だった。父の後妻の ── 清盛には継母に当たる房子が右近将監うこんしょうげん(近衛府将官)高階たかしな基章の娘を推薦した。
その娘は房子の姪に当たるので清盛も顔見知りだったが、いかにも気力のない生きた泥人形のようで、清盛はなんの魅力もおぼえなかった。
「せっかくの母上の仰せながら、この義だけは・・・」
と、語尾をあいまいに濁らせて婉曲に拒否を表現した。
「それでは、もうひそかに言い交した姫御がおありかの」
こんな場合、たれでも口にしそうな言葉を房子は使った。
「いや、あいにくそのような心愉しい思いにはまだ恵まれませぬ」
清盛はあっさりと言い放って座を立った。
忠盛夫人とそのさぬ仲の息子との心通わぬ対話はこうして終わったが、そのままではすまなかった。
数日後、清盛は父の居室に呼ばれて人払いで訓戒を受けねばならなかった。
「そなたは親のすすめる妻は気に入らぬようじゃが、それは思慮が足らぬというものじゃ、その点ではこの父も若き日にはあやまちをおかして苦い思いをせねばならなんだ。それと同じ悔いをそなたに与えぬために父のやまちをいま打ち明けておこう」
ここで言葉をひとくぎりさせた父の顔は、清盛が初めて見る苦渋の表情だった。
「わしの若い時にお仕えした白河法皇の護衛の侍として夜のおしのびのお出ましにお供したのは東山の麓の祇園のほとりのご寵女のもとだった。そこに仕えた侍女に美しい人があった。・・・わしは若気のあやまちでそのうら若い女に近づいた・・・」
いつも父の威厳をくずさぬ姿勢の忠盛が、この刹那せつなは男の含羞を浮かべて絶句したのが、清盛には父の体温をじかに感じられるようで微笑した。
「笑うな、その恋というやつが曲者なのじゃ。わしはその女性にょうしょうをしゃにむに妻に欲しかったが、父上は承引しょういんされなかった。『側妾ならともかく正室としては許せぬ』とな・・・」
忠盛の父、清盛には祖父の正盛は、伊勢平氏の頭角を現したこれも傑物だった。白河上皇鍾愛しょうあいの皇女没後の供養の六条院仏堂建立に、その私領の伊賀の田畑、屋敷二十町を寄進して上皇に接近して出世のいとぐちをつかみ、やがて長男忠盛をその路線上にのせようと望んだ野心家だった。
「わが息子にはぜひとも名門の息女をめあわせたい父上の望み背かねばならなかったのは・・・その女の胎にすでに・・・清盛そなたが宿っておったのじゃ!」
「ホウ!」
清盛は声をあげて父の顔をまぶしげに見詰めた。
「許せよ。この父の不始末からそなたを氏素性うじすじょう誇るに足らぬ女から生ませてしもうたことを」
その父の言葉に清盛は烈しく首を振った。
「父上、何を仰せられる。父上がそれほどまでにまことの愛をそそがれた女性から誕生したこの身を果報に思いまする。わが母は父上の思われ人の美しき人、この身わずか三歳で永別、そのおもかげの記憶さだかならぬが、ただ一つのうらみ・・・」
胸を張って堂々と清盛青年は言い切る。
2020/09/27
Next