~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
仙 洞 御 所 の 庭 (二)
── その夜、この西八条の別邸にくつろいで泊まる清盛に時子は告げた。
「宗盛は池に竜頭鷁首の舟を浮かべたいなどと申します。まことに六波羅武士に似合わぬことを・・・先が思いやられます」
「案ずることはない。平家も公卿に列したからには、風雅の道も知らねばならぬ。この父がついている。そなたは姫たちに心を配ればよい。それにさしあたって、盛子の縁談が生じているのだ」
「えっ、盛子はまだ八歳の次女ではございませぬか。十二歳の長女の昌子への縁談こそ順でございましょうに」
時子はわが娘姉妹は長幼の順で嫁がせたかった。妹が姉より先では、姉の心理にも影響すると憂うる。
「じゃが、事情によっては妹が先に決まる場合もあろう」
「それにしても、まだ毛毬をついて遊ぶあの子を嫁がせるとは、案じられて手離せませぬ」
良人がよその女性に生ませた子でも、誕生後まもなく手許に来て育てた八年の年月には、もうわが娘となりきっている。
「さほど案ずることはない。嫁ぎ先には盛子の生母が仕えている」
「えっ!」
時子は絶句したが・・・彼女の頭の回転は早かった。
盛子を引き取る時、阿紗伎の口からその子の生母が、当時関白の藤原忠通の嫡子基実の奥に仕える女房藤波局だと告げられている。ふだんは思い出しもせぬことも、この場合ははっきりと浮き出でる。
「──、それでは、盛子を摂政の北の方になさるおつもりでございますね」
その名門の公家ととの縁組は平家の娘としてふさわしいであろうが、時子には藤波局のこと以外に、その縁談にはためらうものがあった。
それは ── 基実が先妻を離婚した理由が時子の気の入らぬのである。その妻は藤原忠隆の娘で、兄信頼が平治の乱で藤原信西排斥を計画、源義朝らと反乱を起こしたが、清盛の六波羅軍勢にもろくも降伏して首を斬られた。
謀反人むほんにんの兄君を持たれた不運の北の方を慰めるのが良人の愛情でこそあれ、和子ももうけられた北の方をなんの罪もないのに御離婚とは、あまりにもむごいお仕打ちとわたくしには思われます。そのようなお方へ盛子を嫁がせては案じられます」
「世に立つ者には、それもまた止むを得ぬ仕儀よの、この平家でも長女昌子を亡き信西入道のそくにと口約束はあったが、やはりあの平治の乱で水に流さねばならなかった。これはっまならぬ世のならいよ」
清盛は基実の立場を理解して気にも止めない。だが時子はすでに子を持つ再婚者の妻に八歳の幼い盛子を送り込むのは気が進まぬ。
「まことに良縁と思うたが、そなたがさほどにたゆたうとは ──」
五人の姫たちは、みなわが腹をいためてしたとなんの差別もなく育てて居りますだけに、まだいたいけない盛子を他家へ手離すとは気がかりで心さびしく堪えられませぬ」
今までわが手許で育てさせ、これからは六条殿で生母に任せるというのは良人の身勝手の気がして時子は喜べない。
「藤波局とやらは、六条殿の先の北の方の御実家から付き添うて来られたと申すに、北の方去られしあとも六条家に仕えるとはこれも不義理なと思われますの」
時子はそこに一矢を放った。
「おれは当人も心苦しかったであろうが、奥方が去るに及んで、残してゆかれる幼い嫡子元通もとみちを藤波局に託されたのだ。止むを得まい」
それほど藤波局はしっかり者なのであろうと・・・時子にもうなずかれた。
「その上、こうも言われた。母と生き別れの基道には、いずれ第二の母君が迎えられようが、もし叶うたら、そなたがせし六波羅の殿の姫をと願うがいかがであろうかと」
婚家を去る時、やがて良人がどのような後妻を求めるかより、わが子の第二の母が気がかりだった彼女がそれを思いついたのは、哀れでもあり賢明であるかも知れぬ。藤波局に好意を持つのは不自然だが、不幸な運命で婚家を去る基実夫人には、時子は深い同情を抱いた。
「それで盛子をとの縁談は早くからのお心づもりでございましたか」
時子はすでにその時から藤波局が六条基実にすすめて清盛に申し込ませたのか、この両人の間は盛子を引き取ったと同時に切れたのではなかったかと、さすがに顔色が動く。
「おろかなこと申すでない。わしは六条殿に対しても遠慮して、そののちは局とは会いはせぬ。この盛子を六条家で求められるのを知ったのは、先日福原滞留のわしの許へ、あちらの家司が来て付けたからじゃ。使者の口上はわしとそなたの娘として貰い受けたいと申すのだ」
謀反人の妹とあって離婚に踏み切った摂政基実の再婚の相手は、今を時めく平家の娘なのだった。だがその娘の生母は六条家の女房であることも知ってのことである。
「それにしても、まだ八歳のうちから許嫁いいなずけならともかく輿入こしいれれとは早過ぎましょうに」
「基実公の父上かねて御病体、回復の望みなしとの事で、嫡子の再婚を急がれている」
その父とは前太政大臣藤原忠通ただみちである。嫡子の先妻の離婚を迫ったのもこの父であろう。それだけに再婚をもわが息のあるうちにというのであろうと、時子はほぼ察する。
「そうまで六条殿で望まれるなら、いたしかたございますまいが・・・もう盛子もわたくしをまもとの母と思い込んで居りますのに・・・このような余儀ないことになりますとは心さびしく覚えらてます」
その妻の胸のつかえを察せぬ清盛ではなかった。
「あちらの生母は、一生母の名乗りはいたさぬと誓っている。盛子にはもうそなたよりほか母はこの世にないはずじゃ」
そのはずだと ── 育ての母の時子も信じる。
2020/10/17
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