~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
新 珠 (三)
翌日、盛子はいよいよ生家を出て近衛家の六条の邸に入った。そこには秘密の生母藤波局が奥を宰領して新夫人の介添役になる。そして継子の基通は九歳の母親よりわずか三つ下だった。
盛子にはしゅうと、良人の父忠通は嫡子の再婚を見届けるのを待っていたかのように、まもなく逝去した。基実は喪に服して引き籠る日々に幼妻に読み書きを手ずから教えた。喪が明けると介添えの藤波が自分のたしなむ琵琶を手ほどきする。
時子は幼くて手離した娘がその新しい環境に落ち着いて良人や生母の庇護の下に育ちゆくのを知って安堵した。
そして次に控える問題は、新たにわが娘として迎えた佑子のことだった。
過ぐる日、仙洞御所の庭で妹滋子から告げられた、盛子と双生児で生れた故に、吉田の里の尼寺に送られたという・・・良人の血を受けた平家の娘の一人を、みすみす棄ててはおけぬのが時子の持って生まれた気質だった。
良人にそれを告げると「そなたの心にまかせる」と、この問題では妻に頭の上がらぬ清盛だったが、妻の理と情を備える心づかいはありがたかった。
阿紗伎と弥五左が時子の意を受けて吉田の尼寺を訪れ庵主の老尼に会うと、
「年ごとに美しゅうねびまさり給うにつけ、やがてそのゆたかなおぐしをむざと剃り落として黒染の法衣ころもをと思うと胸いたむ思いでございました」
とホッとして喜ぶ・・・今までの養育の謝礼に多額の寄進をして、佑子を連れ去ろうとしたが、育ての老尼の法衣にとるすがって泣いて離れぬのを、なだめつすかしつようやく左京一条の平時信の邸へひとまず預けた。その清盛夫人の実家、当主の時忠は未だ出雲に遠流でさびしいが、留守に残された北の方や、いまは隠棲の父の時信 ── その人たちに暖かく迎えられた。
時信は老衰のかたむきだが、娘時子のけなげな計らいを助けようと、しきりに言い聞かせた。
「西八条の北の方はわが娘ながらも心やさしく、いつくしみ深い。案じることはない。まことの母と思うて甘えるがよいぞよ」
そして ── 基実夫妻の披露宴の日、西八条へと迎えの牛車に乗せられたのだった。
そうした佑子は ── ほかの姉妹の昌子や盛子が誕生後ただちに引き取られて時子の膝下しっかに育ち、当人も時子を実母と思い込んでいるのとは大きな違いがあった。それだけにこの娘の場合は取扱い要注意と、時子は配慮せねばならなかった。
東西の対屋に姉妹は別れて棲む。今まで東には昌子、盛子、徳子の三人で、その盛子の去ったあとに佑子を入れるのを時子がためらったのは、昌子も徳子もすでに十三と八つでものごころがついている。その姉妹から佑子がまるで闖入ちんにゅうした娘と意識して見られることで、九歳になっている佑子がいじけては憐れである。各自居間は別だが同じ対屋の中では顔を合わせることも多い。それではどの姉妹といっしょがいいかというと、幼い末の六歳の典子がいちばん適当だと思う。典子は末っ子らしい甘えん坊で、無邪気で快活な幼女だった。年齢の差があれば佑子も気が楽であろうと・・・佑子を西の対屋の典子と同じ屋根の下に置き、七歳の寛子を東に移すという姉妹の配置転換をこころみた。
2020/10/19
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