~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
乳 母 の 野 心 (二)
西の対では佑子と典子が、これもお遊び時間だった。あちらの対の姉妹は幼稚な遊びの乱碁だったが、こちらは知能を要する貝合かいあわせだった。美しい彩画の一対の貝桶の中に納められた三百六十個の貝殻の両側の半分ずつを地貝じがい出貝だしがいと呼び、地貝は白い内側を見せてならべる。その座の中央に出貝を一個ずつ出して順番でその出貝にぴっちり合う地貝を選び、多くの貝を合せるのを競うものだった。
西の対の貝合の地貝には「古今和歌集」の上の句が絵模様入りで書かれ、それに合う出貝に書いてある下の句がヒントになってみごとに地貝を選べて、そして学習の助けにもなるものだった。
競技者は佑子と幼い典子だけでは足りず、乳母の汐戸も安良井み、そして侍女までお相手に入れられた。
「これは、これは賑やかなことよの」
母の時子の声に、二人の姫は振り向いてうなじをさげる。乳母たちも手をついておじぎをする。
「母上もなされませ。さあここへ」
末っ子の甘ったれの、物怖じせぬ典子は母を貝合の仲間に加えようとする。
「ホホ、この母も娘の頃はそれを手にしたものの、もうながの年月指に触れたこともないゆえ」
と時子は笑う。
「わたくしどもも、このお相手では冷や汗をかきまする。なにしろ祐姫さまのお上手なこと、それもそのはず『古今集』のお歌はどれもみごとにそらんじていられますゆえ」
佑子付の乳母の汐戸はそれがまた自慢の種なのだった。彼女は佑子がこの館に引き取られ、北の方に命じられて乳母となって以来、いつしか佑子の天与の美貌と共にそれを裏付ける聡明で優しい心に魅きつけられて、日ごとに親身の愛を覚えるのだった。
その汐戸にとってこころよからぬは、徳子付きの小檜垣が、佑子は北の方のお腹ならぬ、よその家女房のせし姫が途中から迎えられたとして、ややもすれば白眼視することだった。
それはたしかに徳姫は妹君の寬姫、典姫と共に北の方の御実子ではあるが、父を平清盛公とする点では祐姫も同格である。ただ残念なのは、六条家へ嫁がれた盛姫、花山院家の北の方に先日なられた昌姫のように、誕生直後に平家の姫として迎えられず、さる寺に九つまで養われてのち迎えられたのがあまりに目立つことだった。
だが、それゆえになおさら、汐戸は祐姫に愛憐の情をもよおさずには居れなぬ。そのためのひいき目かも知れぬが、祐姫はどの姫よりも天与の美貌をめぐまれていられて、しかもそれを裏付ける聡明と優しい心もひときわすぐれていられると、汐戸には思える。
この貝合でも出貝の下の句をひと眼見て、早くも上の句の地貝を繊細な指先でさっと拾い取られる見事な智能に、ほとほと汐戸は感じ入っていた。
── 時子はしばらくその貝合を興がって見たのち、阿紗伎と北の対へ帰られた。
まもなく、阿紗伎が二つの折敷おしき(盆)に草餅を盛ったのを侍女に持たせて東西の対屋へ運んだ。
一つの折敷を東へ置き、もう一つを西へと阿紗伎が行くと、貝合はようやく終わっていた。
「北の方より姫方へと、これは北の対のよもぎの壺のを摘み入れてございます」
と阿紗伎の口上だった。その頃の蓬餅はうるう米を粉にしてまるめて蒸したものだった。
汐戸は姫たちにその蓬餅を銀皿に取り分け煎茶せんちゃを添えて差し出し、あとは乳母や侍女たちが頂戴するならいである。
当時は未だ抹茶の茶道はなく、茶は葉茶を煮るのみだった。平安朝初期から近江、播磨はりま(兵庫)で茶の木は栽培されたが、それを用いるのは公卿や寺院の僧侶たちで、その他の人々は食事も茶漬はなく湯漬を掻き込み、夏は水漬という風で喫茶の風習は普及しなかったが、平家の館では播磨の葉茶のほかに清盛の異国趣味で宋船のもたらす支那茶をさえ用いていた。
「阿紗伎どの、姫へ差し上げた煎茶のお流れを戴かれて、ちとゆるりとなされませ」
汐戸は阿紗伎を引き止めた。汐戸は若い侍女の頃から阿紗伎に目をかけられた馴染み深い仲だった。
「汐戸のれるお茶はひとしおと、よう北の方も仰せられたの、久しぶりで今日戴くといたしましょう」
姫たちは娘の安良井にしばらく任せて、汐戸は阿紗伎を自分の控えの間にみちびいて、煎茶の残りで蓬餅の御相伴をした。
同じ館に仕えながらも、北の方付きの侍女頭と姫の乳母とは、北の対と西の対と場所が離れているだけに、ゆっくり話し合う折もないので、こうした機会にうちとけて話がはずむ。
「さきほど東の対へ北の方のお供で伺うと、昌姫のおわさぬが心さびしいと思召されての、御姉妹の乱碁を御覧ごろうじながら『このひとたちもいずれはこの母を離れてさびしがらせようの』と仰せられると、あの小檜垣が『おひと方はぜひとも御入内あってこそ然るべし、小檜垣ひそかに祈念つかまつります』と勢い込んで申し上げたがの、北の方はそれをたしなめられて『入内などを望は浅ましいこと』と仰せられた」
汐戸は小檜垣がみごとに北の方にたしなめられたのが胸がすくようだった。
「北の方はさすがに御見識のお高いこと。あの二代の后と世にはやされて二度の入内をなされた藤原多子まさるさまはかえって御不幸かとお察しいたされますに・・・そのようなことを小檜垣ごのが申されたのも、北の方の御妹さま(滋子)が院(後白河)の御寵愛を受けられて、三の宮(憲仁親王)御誕生あってときめく女御になられたからでありましょうが」
「その三の宮がやがては必ず皇太子にお立ち遊ばすと ── 六波羅でも西八条でも侍たちの噂・・・」
阿紗伎はそうした情報が伝わる立場にあった。
「えっ、三の宮には兄上の二の宮(以仁もちひと)がおありなのに・・・」
後白河上皇の三人の皇子は一宮が昨年崩御の二条天皇、二の宮は元服されたばかりの以仁王、その下の三の宮が滋子を母とする憲仁親王だった。三歳の現六条天皇は二条帝の皇子である。
「御兄弟の順よりも、その御生母の後盾の御力によるがならい」
阿紗伎はあっさりこう言ったまま、あとは言葉に現さずとも、滋子の背後には義兄平清盛の勢力が加わっていると、汐戸にもうなずけた。
「やれやれ、つい長居をして怠けました」
阿紗伎は腰をあげて帰りかけて、汐戸を振り返り声をひそめて、
「今の話は必ず他言無用」
2020/11/04
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