~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
夜 の 鶴 (二)
姑房子は嫁のやつれ方をちがった感覚で受け止めた。
「若殿の北の方(妻)は新婚やつれと見えるのう」
と言って侍女たちに忍び笑いをさせた。
だが、時子の実家の優しき継母だけは、六波羅の玉の輿こしに乗ったはずのわが娘が大いなる苦悩の中にあるのを、いち早く察していた。
その母は時子が実家さとを離れる前夜、湯殿に共に入って、娘の背を流した。
「時子、このようなことは、生涯もう二度とは出来ませぬ。そなたが幼い時は湯浴ゆあみは乳母にも任せずこの母が手ずからするのが愉しみでした・・・」
だが、時子が年齢頃としごろになってからは、母と共に湯浴みをしたこともない・・・その夜はまったく思いがけない母の振舞いに驚かされた。
「女の児は手塩にかけていつくしみ育て上げても、やがてはよその殿御にお渡しせねばならぬものとは、よくわきまえながらも、いざとなれば名残惜しいのう、と言うていつまでも手許にとどまっていられても案じられる。・・・今宵を最後にこの母の手を離れて六波羅へ ── 人にはめでたいと祝われても、この実家の古りた築地ついじのなかの古家とちごうて、みごとに結構な六波羅の館に錦に包まれて起き伏ししようとも、そこには女の必ず受けねばならぬさまざまな難儀があるのは心得ておかねばのう時子 ── それが今からわかるこの母は、折々そなたを力づけにたずねて行きたいはやまやまながら ── 実家の母がたびたび顔を出してはかえってそなたの不首尾ともなろう。それゆえに、ほんのたまさかより母の訪れはなくとも、毎日そなたの影身に添うて守ろうものを・・・・」
娘の背を撫でるように洗い流す母の声には涙がこもっていた。時子は六波羅へ嫁いでからも、いつも母の手が湯気の立ち込めるんかにわが背に親しく触れた感覚を忘れなかった。
その母はさぬ仲の時子の姉弟を育てるに精根を費やしたように、じぶんの子は生むことが遅く実子の滋子は時子より十四も下だった。その下のこれも女の児が時子を嫁がせた翌年に生れた。そんなことからも、しばらく六波羅を訪れることのなかった継母裕子が時子に会いに現れたのは、彼女の産後の保養もすんだ晩秋のある日だった。
舅の忠盛も、良人の清盛も各々の勤務に出仕中で、館に居るのは姑の房子と、そして時子ふぁけだった。
彼女はわが娘に会うよりもまず先に忠盛邸館の夫人房子のご機嫌伺いにまかり出る。
「── ふっつかな時子、さじかしお気に召さぬことのみとひたすら案じ居りまする・・・いたらぬところは御容赦なくおさとし給わりたくお願い申し上げまする」
両手を突いて頭を深く下げる嫁の母だった。
「なんのそのような御案じは御無用、お若いに似合わぬ気性のしっかりしたおひと、この年寄りがいまさら差し出がましいことはいたしませぬが・・・なにしろここもとの歌風はおのずと御実家方ともしなちがいまするが、やがてはお慣れになることと思われまするの」
やんわりと、どこかにチクリと痛い針を含んだ言葉には、両家の社会的地位の高低を諷しているのが見え透いている。
白桃のうす皮をつるりとむいた感じの色白の顔でやや猫背に小柄の姿をしとねの上に置いた房子の前に、時子の母裕子はしんたいの血がひえびえとする思いだった。
その房子の前から逃れ去るように、やがて裕子はうちぎの裾をしずかにすさらせた。
そしてわが娘の待つ清盛居館に、前栽ぜんざいの樹々を渡る晩秋の風に吹き込まれたように入った。
やや・・は大きゅうなりましたか」
母の顔を見るなり飛びつくような時子の声だった。
「おお、みな息災、御安心なされ」
「滋子は寂しがって居りましょう」
異腹のこの妹をへだてなく愛した姉は言う。
「それはもう・・・今日も姉上に会いたいとせがむのをなだめて置いて来ました」
「かわいそうに・・・早う大きくなって母上と共に六波羅の牡丹に招かれよと仰せられませ」
牡丹の客の同伴者の子女は十五歳からのさだめだった。
「それを愉しみにさせましょうとも」
晩秋の日短 ── 早くもあたりに陽はかげる。
「・・・実家の母がいつまでもわがmの顔に長居は無用、帰りましょう。これからの季節に風邪の用心これぐれも・・・・」
母上こそ御用心遊ばされませ」
「時子の行末見届けるためにも、ぜひとも長生きせねばと念じております。野焼の雉子きぎす夜の鶴、親が子を思うは当然ながらこれほど心にかかるとは・・・・それもあまりにときめく六波羅へ輿入れさせたが故と思います」
吐息をもらした母はこの時きとした顔になって、膝をすすめてあたりを憚る声を低めた。繧繝うんげん(雲形彩色)の布で縁をとり、なかに大和絵の山水を描く厚い障子そうじ(後年の襖)で仕切った次の間には、時子付の侍女たちが控えている。
「これだけは心の底に心得てたも、この六波羅殿と平時信家とは桓武平家の同じ流れに連なりながら、今は比べようもなきありさまなれど、伊勢より起こりし武家の平氏とちがい、時信位は遠き祖父より京にあって地下公卿ながら貴族に交じり、氏素姓いささかも賤しからぬ血を受けし身をゆめ忘れてはなりませぬぞ、いかなる場合にもそれを思うて必ず自らを卑屈に陥れず、清盛の殿の北の方の座に健やかに落ち着いてたもれ」
母はそれを告げて娘を激励に今日訪れたかと思われたほど熱を帯びた声だった。
「そのお言葉ありがたく存じますれど、時子はわが実家が京に棲みつきし公卿に連なるを心の支えにいたしますよりは、この六波羅が武家の頭領の館として貴く、そこにふさわしい妻となることに生き甲斐をみつけてまいります。この時子は公卿より武家が好きでございます。その誇りを持てばどのように心労が重なりましても卑屈にはなりませぬ。必ず御懸念なく」
はっきりした言葉に、その母は敗北してうなずかねばならなかった。
「ほんに時子は公卿の家に生れて公卿嫌いじゃったの。大宮さま(美福門院)から頼まれても後宮に仕えるを好まず、御辞退したほどの気性であった。それを思えばもう何も案じませぬ、それでこそこの母も安堵していつでも死ねるというもの・・・」
「まあ、めっそうもない、そのような不吉なことを仰せられますな」
「ホホ、それほど安堵したということよ ──」
母も笑って、この頼もしい清盛の北の方に別れを告げた。
時子は出来たら中門ちゅうもんまで見送りたかったが、この館の作法に従い妻戸の前まで送ってあとは侍女と家従に送らせた。
三日後の朝 ── 忠盛父子はそれぞれの政務で出仕、家臣の多くはそれに付き従って、六波羅の居館は静まっていた。
その刻に平信家からの急使が時子を驚愕させた。
「本日払暁ふつぎょう、若殿北の方の御母君にわかの御発病にてみまかれました」
つい三日前の訪れたその母がわが娘のたくましい心根に打たれて「この母も安堵していつでも死ねるというもの・・・」ともらした言葉がはからずもしんをなしたのだった。
2020/09/30
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