~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
青 春 の 幻 (三)
中務省、式部省など八省その他の官庁は皇居の周囲にある。
太政官庁も朝堂院の東、宮内省の西でその構造はほかの諸官衙かんがに比べて宏壮だった。それは他の官省とちがって、天下の政務を総括するからだった。
その庁内は三局に分けて少納言局、去弁官局、右弁官局とあった。少納言局は詔勅、宣命、宣下を勘考して正し、あるいは太政官の奏文をつくる官務だった。大江広元はその局の権少外記、いわば書記官に準ずる役の一人だった。その下には史生(書記生)、?部(庶務)など下級官吏が多数いる。
この少納言局の局長格はその名のような少納言の位階にある上級公卿で、局に出勤するより皇居や後白河院に参内して朝政にあずかる日が多かったから、実務は局の次長の位置の大外記とその下の副次長ともいえる二人の少外記だった。その少外記に属して四、五人の広元の同僚が居る。
けれども ── 平常は無口な広元は同僚とは止むを得ぬ執務上必要の言葉より交わさなかった。
彼は官僚臭が体臭となったような彼らとは次元が違うと信じる孤高な学究者の誇りを仕官後もけっして棄て得なかった。
また同僚の方でもこの高慢な偏屈へんくつな広元に近づくのを避けた。
── 彼が勤務して間もなく年が明け嘉応二年になると、その春の県召除目あがためしのじもくで全国の受領ずりょう(国守)が新旧交代するので、新任国守が任地へおもむくのに必要な国守の身分証明書の太政官符を書くのは権少外記の仕事だったが、同僚たちから新任の広元はみな押しつけられた。
彼が日々黙々と期日までに仕上げた多数の官符は上役の古参の少外記が誤記がないかを調査する。
広元が官符を覧筥らんばこ(貴人や上司に見せる文書入)に納めてその調査の係の少外記の部屋に持参した。
少外記と執務の個室を持つ。それは奥まった一室で、採光用の釣蔀つりじとみの外の庭には松の大木が数本茂って室内は昼でもたそがれめいている。その中で黒漆の古びた長方形の大きな事務机の前に、いかにもこの部屋にふさわしいような、少し陰気な影のある男が鬱然うつぜんとしてすわっていた。
その男はもっとも古参の少外記の三善みよし康信やすのぶだった。彼は位階の低い下級公家の嫡男で辛うじて少納言局少外記の役が代々の世襲なので、父の亡きのち康信が継いでもう数年になり、年齢も広元より幾つか上である。
その彼は今広元が現れると、机上の書類を押しやって顔を振り向けた。
「春の除目の太政官符、取り揃え持参、御調べお願い上げまする」
と覧筥を差し出すと、
「いや、儒家大江家にて秀才の誉れ高き広元殿の手になりし官符、なんの手落ちがござろう」
と調べて見ようともせず、
「まことにこのような雑事にわずらいをかけて恐縮なれど、これも官務見習いと御辛抱なされよ」
と康信のいたわる態度は、上役としていささかの官僚的尊大さもなく、あたたかい人間の体温の通う心地で広元はその人となりに、おのずと頭がさがった。
「大江家の邸はたしか東洞院西でござるな。わが陋屋ろうおくはお近くの烏丸からすまの奥なれば、以後お近づきに願いたい」
「こちらこそ願わしく」
広元はこの上役には素直な態度となる。
去年の暮、初めての出仕の折、この上司の部屋の入り口で儀礼的に型の如き挨拶を述べたきりだったが、この日にわかに広元はこの三善康信に親和感を覚えた。
それ以来、退庁時刻にはどちらから誘うちなく康信と広元は同じ方向への帰り道を語り合いながら連れ立ってたどることが時々あった。
2020/11/12
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