~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
夢 は ふ く ら む (一)
広元が太政官庁少納言局に出仕して一年余を過ごした翌年の嘉応三年(1174)は、その年に改元、承安元年となった。
その一月十八日に広元は権少外記ごんのしょうげきから一段上の本格的な少外記に昇進した。位階は正七位を授けられたが、武官級なら少尉である。この早い昇進は一人の少外記が同じ庁内の去弁局に転じたから、そのあとにすぐれた家系の出身者の広元が据えられたとしても、それにはおそらく三善康信がかげで彼を強く推したと広元は想像した。おのずとそう考えるほど康信は広元に好意を寄せていた。
その康信もまた庁内では孤立した存在で、いつもどこか暗い影を負うたような憂鬱な姿だった。
広元のみだりに人を許さず狷介けんかいに見えるほどの姿勢が、その二人を近づけ、相寄らしめたと思える。
昇進発表の日、広元は同僚の妬みの眼を背に感じて、奥まった少外記のわが個室に入る前に、康信の机辺に行って感謝の念を含んだ挨拶をすると、
「貴君の実力では当然ではなかろうか、今までわが配下に居られたのが心苦しかった・・・」
と康信はいつも沈鬱な顔にめずらしく微笑をうかべた。
── その数日後、広元が登庁した留守に大江家に西八条の館から使者が来て「広元殿このたびの御昇進に北の方より御祝を申し上げたく近く御入来願いまする」という口上を述べたと言うのを、彼は帰宅したから聞いて、入道相国の邸から見ればたかが知れた小官吏の昇進に過ぎぬ事を耳に入れられるとは・・・・と驚いたが、それほどわが身に期待されるかと思うと身が引き締まるようだった。
彼はそれから間もなくの休日に西八条へ出向くと、北の方も佑子、典子の姉妹も乳母たちも、揃って迎えて祝詞を述べられた。
「世尊寺伊行殿が、先日姫たちへ御教授に見えられし折に、わがことのように広元殿さすがにすみやかなる御昇進と告げられました」
と北の方の言葉で、伊行の暖かい好意が広元には身に沁みた。ややもすればわが豊かな学識とすぐれた頭脳を気負う強烈な自負心が反撥を買い、白眼視されて孤独に陥る彼は、伊行や康信が自分を理解して受け入れてくれるのに感謝の念がおのずと強かった。
「ついてはお祝いのしるしをお納め下されよ、阿紗伎、あの品をこれへ」
阿紗伎がこの北の方の言葉のみなまで終わらぬうちに広元の前へ運んだのは黒塗金蒔絵の打乱筥うひみだりばこで、そこには紫地に平家の常紋揚羽あげはの蝶を白くぬいた大きな袱紗ふくさが覆うてあった。
「これなる直衣のうしは日々のお着更えの一つにと・・・」
直衣は公卿の通常服である。時々は着更えねばえた姿になる。広元も今までの学生風の無造作ではすまされぬ。
「これはかたじけない」
と首を下げると、阿紗伎が微笑んで、
「織模様は祐姫さまのみごとなお見立てでございます。まあごらん遊ばせ」
と、袱紗をさっと取ると表は白綾唐花丸で気品が溢れる。阿紗伎はその背を返して示すと桜がさね、裏は藍の淡い平絹・・・広元はまだそのようなぜいをつくした高価な直衣を身につけたことはない。
「広元さまにかならずよくお似合いになりましょう」
汐戸が初めて言葉を添えた。祐姫の見立てたことも阿紗伎の口を待つまでもなく、この乳母の口から言いたいのは山々だったが、つい言いそびれたのは胸にわだかまわる思いがあって気が沈むからだった。
やがてその贈物は柳筥やないばこ(柳編蓋付き)に移されて、西八条の雑色が肩にかつぎ広元の帰路の供に立つのだった。
佑子も典子も広元をしとみ格子ぎわまで見送った時、
「このつぎの折は、あの直衣お召しになってお越しくださいましね」
典子がませた口調で広元に告げると、佑子は優しさの限りを湛えた眼差しを、広元に向けた。もの言わねど真情溢るる花のおもかげだった。
広元はわが家へ帰る道を、五、六歩あとに西八条の雑色を従えてたどりつつ、幸福感が胸いっぱいに盛り上がった。そして去年の早春の夜、伊行と西八条の帰り道にわが耳をつらぬいた伊行の言葉がありありと浮かぶ・・・「やがて貴君を祐姫の婿君としてその学識才能を入道相国の御政道の面で振るわせたいとの云々」・・・あの時さりげなく笑ったものの、その言葉は広元の胸の奥深く一点の火を点じたのだった。
祐姫との相愛の恋一つでも広元はこの世に生れし甲斐ありと、天にも昇る思いを、さらにその副産物として姫の父入道相国の帷幕いばくに加えられて、平氏政権に尽くし得たら男子の本懐これに過ぎじ・・・その未来の夢の前には大宰府庁内の一局の少外記などものの数にも入らぬ官職ながら、それも蛟竜の雲雨に会するまでは水中にひそむがごとく政務の末端の事務智識を見に帯びるも、他日必ず役立とうなどと、覇気満々の彼の夢はとめどなく大きくはらむ。
── 彼がの新しい直衣を身に付けて西八条に現れる日があいにくなかなか来ないのは、それから間もなくの朝廷年中行事の春の除目じもくが近付き、去年はその任符(辞令)を手落ちなく作製するのに追われたが、今年は少外記に昇進して、その除目の二月に渡る儀式の準備をせねばならぬため、賜暇しかもとらずに登庁せねばならなかった。
ようやくその準備が調ととのった頃 ── 天皇は除目の儀式が終わられると、まもなく西八条の平家の館に、公式ならぬ私的の行幸をなさるとの予定が太政官庁だけに早くも伝わった。
・・・それではさぞかし館は天皇を迎えるために上を下への大騒動であろうと思いやられると、そのさなかに訪れるのは心なき業と控えねばならなかった。
2020/11/14
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