~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
夢 は ふ く ら む (二)
── かねて入道相国夫妻がが望んだ西八条へ天皇の行幸を仰ぎ、從姉妹に当たるわが姫たちをひき合わせたいという願いが叶う時が来た。その春に法皇が建春門院を伴って遠く熊野神社に詣でられる。
京から熊野路の山坂を越え往復約二十四、五日の長い旅の間、父法皇も母建春門院も京都を離れられては、少年帝がさぞおさびしかろうと、その間の一日、伯父の浄海入道夫妻の館へ御幸され歓待されて御遊びなされてはと、ここに機会が到来したのだった。
天皇西八条に御幸! この報が伝わると、まず姫たちの乳母はいずれも色めき立って緊張した。
いずれもわがかしずく姫を最上に美しく装わせて、ひときわ目立って天皇によい印象をお与えせねばならぬ。
その中でも徳子付きの小檜垣は早くも眼の色を変えて大童おおわらわだった。彼女はさながら極秘で北の方と密議を計るかのように、一日にいくたびもこれみよがしに北の対屋に伺うという噂が西の対にも伝わると、汐戸は冷ややかに言った。
「さもあろう、小桧垣どの、かねて徳姫の御入内を願われるゆえ、このたびの御幸こそよ」
── 天皇を迎えるために西八条の準備はひとからならず、寝殿正面の広間の畳敷の畳はこの新年に換えたばかりのを、またも新しく替えて板敷は削るほど磨き上げ、廻廊から渡殿も足のすべるほど拭き清められ、正面白砂の庭の砂は新しく敷き替えられた。天皇に差し上げる供御くごの容器は銀で新調された。
当日は家臣、次女もみな新調の衣服に身なりを調えよと奥役の宰領弥五左衛門は言い渡して、その衣服費は御幸を仰ぐ祝いとして奥から賜るという。
それから ── その日の衣装については四人の姫の装いがもっとも大問題だった。このたびの御幸は公式のものではなく、天皇が伯父夫妻の家庭を訪れらえるという私的なことだったので、儀式用の晴れ装束(十二ひとえ)は用いず、五衣いつつぎぬの準礼装ときまった。五衣とは五枚の衣裳を重ねた宮廷上臈の女房装束だった。
その衣装には各乳母たちが姫によくお似合いの色彩や織模様を心得て早めに新調するようにとの北の方の仰せがあった。
乳母たちはいずれもその五衣の見立てに知恵を絞る最中の日、突然に小檜垣が西の対に汐戸を訪れた。
「ないない汐戸どのに申し入れたき儀がございまして」
その最初の口上に汐戸は控えの間に人払いをして、
「何事でございましょうか」
「それはほかならぬこのたびの御幸を仰ぐ日の姫方の御よそおいは五衣と決まりましたが、寛姫、典姫のお二方はおひとつちがいの御姉妹とて、いっそお揃いの染色、織模様にて衵姿あこめとなされてはと北の方の御意見でございます」
衵姿とは少女向きの衣装で、紅の袴に小型のうちぎの下に下衵と単襲ひとえがさねをかさねる。
「それはお嬢さまらしく仇気なくてお可愛らしくみえましょう」
五衣ではあまりに貴婦人の大人びたいでたちになると、汐戸もうなずけた。
「お妹さまおふた方は衵でもお上の姉君方はもう五衣がお似合いになるお年齢・・・」
小檜垣の言葉通り、佑子は十六歳、典子は一つ下の、早婚のこの時代にはすでに結婚適齢期の成人扱いであった。
「それはぜひとも五衣をお召しにならねばなりませぬの」
「汐戸どの、それにつけても、これも一つちがいの姉君おふたかたの五衣の色どり、模様は仇気なき衵姿とはこと変わり、これはお揃いはいたしかねまするが、汐戸どの、徳姫さまは北の方のお腹、祐姫はあいにくとお脇腹とあれば、おにずと五衣のいでたちも徳姫さまへの御遠慮あって、おひかえめになさるる心得をこの小檜垣より願いまする」
汐戸の耳の鼓膜こまくに針をさすような口上だった。
小檜垣はいったん用をすませたように立ち上がってから、
「おう、そうそう御衣裳のことに気を取られて大事なお打ち合わせをすんでのことに忘れるところ」
と、また汐戸の前にすわりなおした。
「余の儀でもござらぬが、このたびの御幸に姫君方への帝への拝謁は御姉妹長幼の順なれど・・・一つお下ながら徳姫こそ北の方の御実子として真っ先が理と思いまする。祐姫にもさようお含みいただけましょうな」
汐戸はハッと胸を突かれた。衣装は徳姫よりまさらぬよう心得よの次には、さらに追い打ちをかけるように今また・・・。
「その儀は北の方よりのお達しでございましょうか?」
問い詰められる汐戸の声はおののく。
「さよう、北の方の仰せには汐戸に告げて折り合いをつけるようにと、それで参った次第・・・」
「北の方のお気持ちとあらば、この館に仕える身がなんの異存を申されましょう」
小檜垣は凱歌をあげて足早に立ち去ったが、汐戸はおののく唇をきっと噛み締めて、しばし黙然とした。
わが娘よりもよその女の生んだ良人の子も分け隔てなく、よくぞいつくしまれると今の今まで思い込んだ慈母観音のごとき北に方も、やはり生身の女性、いざとなればわが実子への執念めいた盲目的な愛を持たれるのも人の母の本能であろうか、大江広元さまを徳姫へとのお心づもりもやはり・・・がっくりと思いうなだれた汐戸は重い足取りで祐姫の居間にと・・・。
・・・その時、佑子の居間から琴筝の美しい音色が流れる。御幸の日の御前演奏の練習であった。
2020/11/15
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