~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
花 の 樹 (二)
その年の冬時子の実子が生誕した。産婦が願った“姫”ではなかった。だが良人は喜んだ。
嫡男は先妻の子、次男は白拍子上がりの守銭奴の女の腹、いま三男が正室時子から生まれたことは、彼女の為にも仕合せと思うからだった。
この正室の三男坊は六波羅の居館ではおのずと重盛に次ぐ次男の位置にあった。ほんとの次子基盛は家臣の邸で育つ陽の当たらぬ陰の子だった。
正室出の和子わこは、二人の兄たち同様に祖父の名乗りに付く“盛”も一字を与えられて“宗盛”と名付けられた。
宗盛は六波羅から吉方えほうの鴨川の水の産湯を浴び、生母時子の乳付け(最初に母の乳を含ます)、それから乳母が付いた。上流の階級では乳母なしに成長する小児はほとんどなかった。その時清盛は三十歳、安芸守を兼任し正四位下しょうしいげに位階は進んでいた。父の忠盛も二年後三月に息子と同じ正四位下に進み刑部卿ぎょうぶきょう(司法長官)に任命された。
これは“美福門院”が鳥羽法皇に「父が子より位階の低いのは気の毒に存じられます」と進言した結果であると噂された・・・それというのも美福門院に仕えた女房が清盛夫人の母ゆえに六波羅の父子をごひいきと、忠盛父子の栄達を羨む人の口は煩かった。
その父と子と位階を同じくした喜びを機会として、時子は良人に次子基盛を六波羅の清盛居館に迎えることをすすめた。
「そなたさえよければ異存はない」
良人のこの一言で、十歳の基盛が兄の重盛と弟の幼き宗盛と共に育てられる生活に入った。
時子は初対面のさぬ仲の基盛に珍しい唐菓子からくだものを手ずから与えた。当時は菓子と称された者は木の実草の実っだった。梨、葡萄、柑子、桃、木苺、杏子の季節の果実を時菓子と言い、乾菓子としては干柿、かち栗、干なつめ、松の実類であったが、六波羅の館には宋船のもたらす珍しい乾菓子があった。なかにも“桂心けいしん”という香り高い肉桂油で揚げた唐菓子は美福門ことのほかに好まれて、六波羅の献上を待ちかねていられた。舅の忠盛のこのたびの昇進の原因の一つは、この唐菓子の効果も含まれているとさえ時子は微笑をもらしたほど、じつは彼女自身が大好物で身辺の厨子棚に秘蔵するそれを、いま惜しみなく基盛に与え、それと共に童水干わらべすいかん、紅平絹に白と萌黄の菊綴きくとじの愛らしいのと括袴くくりばかまの同色のを揃えて贈った。
「今日より母と呼んで甘えてたもれの」
と笑顔で言うと、嬉し気に唐菓子を押し戴いた少年の眼がうるんだ。時子の胸にもあついものがこみ上げるのだった。
「何をしてお遊びか」
「馬に乗ります」
家臣の武士の邸で育てられた子は乗馬が何よりのたのしい遊びだったらしい。
「それは何よりのこと、早う大きくなられて美しいよろい姿で馬を走らせ、あっぱれの平家の武者振りを見せてたもれよ」
「はい」
と頬に血をのぼらせて力んで答える。
心つたなき生母ゆえに不幸な立場に置かれたこの少年を、今日よりいつくしんで成長させたい、宗盛とも分けへだてなく、宗盛の立派な兄じゃ人とさせよう ── 時子は自分の仕事のなかにそれを決して重荷とは感じなかった。
舅の忠盛はその時子の心がまえを周囲から伝え聞くと膝を叩いて言った。
「あっぱれ、わが世嗣よつぎの嫁はみごとじゃ、これで六波羅はゆるぎなく栄える」
時子を理解する点では姑より舅がはるかにまさっていた。
けれども、彼女は全知全能の神ではない、一人の生きた人間であるから、完全無欠のはずはない。彼女がいかに努力しても手の届かぬ不可能な事もあり、気の染まぬこともあった。その一つは姑といかにしても心通わぬこと、もう一つは生さぬ仲の重盛との親和感が希薄なことだった。
それについて、時子は自分を卑しくせず小ざかしい小刀細工の無理はせず、心を平静にしてなりゆきに任せる方針だった。我が力の及ばぬは諦めていた。
だが基盛には彼女の女性的のあたたかさがすらりと素直にうけとめられたのは、この少年の不幸な生い立ちが時子を母と仰ぐ機運に歓喜させたからだった。時子はその基盛の期待を失望させぬよう心を尽くしたかった。
時子はその少年の好きな遊びという乗馬の稽古を、六波羅の馬場で口取り(馬丁)を付けて楽しませた。重盛も同じように馬場で馬を走らせた。
この馬上の二少年の母は、馬場の周囲の木立の間から微笑ましくそれを眺めて立つのだった。基盛はその時子をいち早く認めると、その前を走る馬上から、ややはみかむ顔を向けて、
「母上!」
と声張り上げて駆けぬいてゆく。
「母上」と呼ぶ人なしに幾年か育った彼は、いまその呼び声を心行くまで張り上げるのが嬉しくてたまらぬかのように・・・。
だが ── 重盛は時子の立つ木立の前を馬で駆けても見向きもせず、武将のように冷然としかつめらしい横顔で馬にひと鞭当てて走り去るのだった。
2020/10/02
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