~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
秋 の 夜 風 (一)
その年(保元元年)の六位月頃から鳥羽法皇が御病気と伝えられると、六波羅の侍たちが眼に見えて緊張した。それが清盛夫人の時子にも反映した。
「鳥羽院にもし御不慮のことあれば、いかがあいなりましょう」
ひそかに良人に聞いてみた。
「女のそなたまでが案じるか、なるほどな。それはいずれ主上(後白河)と上皇(崇徳)の間に、血で血を洗う御勢力争いが起ころうも知れぬ、その双方に源平両氏のおのおのが従って弓矢で戦う事になろうぞ」
清盛や家臣たちにはすでにその危機感の意識があった。
「では源氏と平氏は主上か上皇のどちらかに分かれて従いまするか」
「それは源平の差別なく各々の立場によろう。源氏は前大夫尉為義が崇徳上皇方に付くとも、為義の子下野守義朝は後白河天皇方となるはずじゃ。これも血で血を洗う武士の悲しみよな」
「では、あの源氏の堀河居館で父と子が互いに敵となるとはあわれ・・・」
その源氏の堀河の館は、平氏のこの六波羅とは鴨川を間にして1㌔足らずの距離だった。
「ところが、この平家一族も同じことだ。わが叔父の右馬助忠正の嫡男長盛は崇徳院御所の侍じゃ、父子共にそちらの軍勢に入ることわりよ。じゃが、われらこの清盛直系の一族は、一糸乱れず団結して天皇派じゃ」
「朝廷も、臣下の武士たちもみな血族双方に分かれて戦うなど、いまわしきことを避けて、話し合いで事は納まりませぬものか・・・」
時子が吐息すると清盛は身をそらして笑い声をあげた。
「話し合いなどで万事が納まるなら世の中に武士は無用の長物、弓も矢もいらぬわ。おろかなことを申すでない。そちも武士の妻ではないか」
管弦の遊びや三十一文字の和歌を詠むことだけで、たまに身体を動かすのは蹴鞠けまりぐらい、青白い顔をしてのらいくらりと日を送る公卿生活の柔弱無気力な雰囲気より、武士の生活のキビキビしたのに心を魅かれていた時子も、いざこの“戦い”というものが、やがて始まり、血族も敵味方に分かれて殺し合う無残さをいま知ると、眼の先が真っ暗になるのだった。
── その予感がやがて的中した。まもなくの七月二日夕刻、鳥羽法皇崩御と共に、ただならぬ不穏の気配が京洛の巷に漂った。
当時の暦では六月はすでに晩夏で、七月は新秋の季感だった。その秋の夜空に箒星ほうきぼしが現れたというのも、不吉な異変の前兆として洛中に噂が広まった。
法皇崩御の翌日から、六波羅へ河内、伊勢からも平家の侍たちの軍馬が集まってひしめめく。居館の台盤所だいばんどころ(厨房)はその炊き出しで大賑わいだった。
五日の朝、次男基盛が時子の前に颯爽と現れた。
「母上、この基盛今日こんにち晴れの初陣つかまつります」
喜び溢れた声張り上げる彼は浅黄糸の鎧に白星の冑、切生きりふ(極上の矢羽)矢に一所籐ひとところとうの弓を持った若武者の凛々しさを、優しい育ての母に見て貰いたい嬉しさに溢れている。
女から考えれば人間同士の殺し合う怖ろしい戦争へ出陣するのが、若者にはこんなに嬉しいのかと驚きつつも、この平家にとってはこれこそ末頼もしい息子のはずだった。
めでたき初陣、功名手柄を祈りまするぞ」
武士の母らしき型通りの言葉を口にしたが、
「初陣とて心はやって危なきところに進み出で、みすみす討たれてはなりませぬぞ」
とつい注意せずにはいられない。
「心得ました」
素直には十七歳の初陣の若武者は答えた。
百騎を率いての安芸判官基盛の出陣祝いに、瓶子へいしの酒と打鮑うちあわび、勝栗が供えられる。
「われこのいくさに勝栗、われこの敵を打鮑」
と家臣たちは声を合せて御曹司の門出を祝う。
時子と侍女たちに中門まで見送られた基盛は、そこで青黒毛の駿馬の黒塗の鞍にまたがった。
幼い日から乗馬に好きな彼が今日初めて実戦で馬を走らせるのかと思うと、時子は胸がせまった。
良人の清盛は天皇の御所の警護に当たって居たが、まだ戦いは始まった情報もなかった。
六波羅では万一に備えて一族の邸の夫人女子たちの守護の兵も配備されていたが、時子は昼夜気も休めず戦いの進展が心にかかった。
2020/10/04
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