~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
秋 の 夜 風 (二)
十日の夜半、天皇側の軍が崇徳上皇の白河の御所を夜襲攻撃したという注進が六波羅の留守部隊に入った。時子はその夜一睡も出来なかった。
上皇御所の軍は秋の夜半の台風のような夜襲作戦にひとたまりもなく敗北して、合戦は半日の間に勝敗が決まってしまったと、時子たちが知ったのは、戦後の処置を評議して六波羅に清盛の軍勢が凱旋してからだった。
「勝いくさながら、危ない目にもあった」
清盛は妻に手柄話よりそれをまず語った。
「なにしろ上皇派には源為朝が居るわ、これは兄義朝とは敵味方よ。大炊おおい御門みかどの西門でばったりと真正面に向かい会ったのには弱った。なにしろあの為朝め、大力無双で強弓ごうきゅうの使い手じゃ、さすがにわしも馬を一歩も進めず立往生だ、ところへ六波羅武者の伊藤景綱の息子の六郎五郎両人が、主人大事とわしの前に進みよると、たちまち為朝の放つ矢に六郎は胸板射抜かれて落馬、・・・わが身代わりに可哀そうなことをいたした」
「五郎も矢を受けましたか」
時子は伊藤兄弟が良人の身代わりに矢面に立ったことに胸を衝かれた。
「幸い五郎は鎧の袖を射られたに止まって助かったが、その隙にわしは皆を連れて逃げ去ることにした。無益に侍たちの生命を棄てさせるは愚のきわみ、この清盛みごとに逃げ申したぞ。脱げることも戦術の一つよの」
清盛はカラカラと笑ってのけた。その場は逃げても大局において勝利を得た清盛が、逃げたのを手柄のように笑って語るのが時子には微笑ましかった。
「それにしても、わが殿は健気けなげな家臣を持たれてお仕合せなされました」
「うむ、伊藤景綱自慢の息子一人死なせたは残念じゃ、六郎は厚く葬る」
「殿は逃げの功名をお立てなされましたが、基盛は初陣でみごとな合戦をいたしたとか皆が申して居ります」
「うむ、初陣の嬉しさに声張り上げて『桓武天皇十三代の御末刑部卿忠盛が孫、安芸守清盛が次男判官基盛、生年十七歳!』と名乗って攻め寄せたそうな、可愛ゆい奴よな」
清盛の言葉に時子は涙ぐんだ。
「まず戦いも小半日で勝敗決まり何よりでございましたが、おいたわしいのは崇徳上皇さま、この後いかがなられましょう?」
当今とうぎん(天皇)への御謀叛ゆえ、やむを得ぬ。いずれ讃岐国へ御遷幸せんこう願う事になろう」
御遷幸という言葉は使われても、海を間の讃岐とあれば、遠島の刑である。
「えっ、上皇ともある御方を!」
時子は驚愕した。公家の家に生れた彼女は、皇室を絶対に神聖視する本能が植え付けられている。
「敗者への審判は、これすべて信西しんぜい入道がさだめられた」
妻の驚きをなだめるように清盛が告げた審判者信西とは、後白河天皇の親王時代の乳母紀伊局を妻にして、今後白河天皇の近臣の権を振るう地位を占めていると思うと ── 時子はその信西が冷血な功利主義の人と思えた。勝者が敗者をさばくのには少しは血も涙もあって欲しいと、信西入道がうらめしかった。
「では敗けた武士たちも、いずれも遠島の御処置がとられますか。叔父上も・・・」
時子は良人の叔父の平忠正やその息子たちの罪軽かれと願う。
「天皇に反逆の武士とあればわが父なれども斬るべしと下野守(義朝)宣下せんげあれば、従ってこの清盛も叔父といえども朝敵の忠正父子を斬らせねばならぬ・・・いずれ重盛は例の如く鹿爪らしく道義を説き立てるであろうが、いかにしても舒明の義は叶うまいて」
遠島どころか死刑・・・しかも子が父を、甥が叔父を、の残酷非道の刑罰を知らされた時子は胸も潰れる思いだった。
「では── わが殿も下野守も自らの手で、血のつながる身内を斬らねばなりませぬか」
時子は青ざめた顔で怨めしく良人を見つめた。
「それだけは出来ぬ。源家の弓で伜を失った哀れな伊藤景綱に命じる」
せめても時子はホッとしたが ── わが身にも義理の叔父の当たる忠正が、かつてわが舅の忠盛の棺の仏前で、亡兄の幸運の生涯を羨み「運は人間の力ではどうにもならぬ。この忠正はいかに焦っても運はつかぬ」と侘し気に歎いた言葉が、今更に思い当たる気がした・・・。
「そうとも、そちはわが子も、さぬ仲の子も、みなああして心を尽くしてくれる。ありがたいことじゃによって六波羅は安泰、事あらば同族こぞって心を合せて戦い、共に相抱いて死のうとも別れはせぬぞ」
「死のうなどとはげん(縁起)の悪いこと仰せられますな。幾千代かけて平家の一門仲睦まじく栄えよと、この時子そのために今日よりさらに心して力を尽くします」
「うむ、よう言うてくれた。頼むぞ」
── 保元の乱の教訓を清盛夫妻が身をもって生かしたからである。
2020/10/05
Next