~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
雪 明 り (一)
清盛がまだ帰らぬ幾日かのうちに、さまざまの情報が六波羅に入った。
その一つは反乱主謀者の藤原信信頼は上皇とみかどを皇居内裏に押し込め、内裏を占領して、信頼自身勝手に大臣大将となり、反乱軍の功労者に位階や官職を授けたという。それによって源義朝は従四位下の播磨守に昇格し、その子頼朝は十三歳で右兵衛佐うひょうえのすけ(次官)を拝命したという・・・。
もう一つの情報は、少納言信西入道は邸館に火を付けられる前に脱出して、田原の奥の大道寺裏の土中に穴を掘って身を隠したが、追手の兵に発見され首を斬られた、という悲惨な末路だった。
「殿が熊野にお出かけなくば、必ず入道殿をお助けなされたろうに・・・」
時子は歎いた。日頃は信西の功利的で冷酷な面を嫌っていた彼女も、さすがに彼をいたわしく思った。
「御懐胎のお体で何かと心を煩わされてはお障りとなります、万事は六波羅の家臣の雄々しい守護にお任せなされませ」
と付き添う阿紗伎はしきりと気をもむ。そして殿の御帰館を今か今かと待つ。
その清盛は、信西があえない最期を遂げた日から三日後に、一行と共に六波羅に無事帰って、一同の歓呼の声に迎えられた。
清盛はまず妻の籠る産所に顔を見せた。
「案じたであろうが、わしが帰ったからには安堵せい。何事があろうと、女、子供が心を労するは無用、幼い子たちとそなたは奥深く籠っているがよい」
「はい、御無事のお姿を見てもう何も案じはいたしませぬ。それまではお帰りの途中を源氏の軍勢が待ち受けはせぬかと・・・」
「それにも出会わずまことに幸運、今日からこの清盛が采配を振るって反乱を静める。そちは身体をいたわり、幼い者をおびえさせぬよう頼む」
早口に告げて清盛は立ち去った。
基盛は保元の初陣の経験からも勇み立っている。十三歳の宗盛と八歳の知盛も出陣こそせぬが、六波羅に溢れる武者姿に勢い立っている。だが昌子、徳子、二歳の寛子は時子の眼の届くところに、乳母や侍女に囲まれて何事も知らずに起き臥ししている。
妻子供は居館の奥深く身をひそめて静まり、騒がしき男たちの世界とは断絶した日々であった。
── やがて、その数日後は宵から雪だった。六波羅の夜は雪明りだった。
居館の奥に籠る北の方のもとへ、難波弥五左老が喜び勇んで現れた。
「北の方へ殿よりこの儀お伝えせよとの仰せで参りました」
「何事かの」
「今宵の雪の中をこの六波羅、主上の御臨幸を仰ぎました」
あっと、時子は驚かされて言葉もない。天皇がこの六波羅へお入りになったとは!
清盛の留守中に、信頼は配下の義朝軍を動かして院の御所東三条殿に火を放ち、上皇を内裏の御書所ごしょどころに移し、帝と上皇を彼らの掌中の切り札として自らを官軍とし、もし六波羅勢押し寄せれば、帝と上皇に刃向かう朝敵と認める手段を講じて、清盛を窮地に陥れた。その裏をかいて、いま見事に天皇の内裏脱出の計略をめぐらし、この六波羅に迎えるとは! 時子は良人の手腕に感嘆するばかりだった。
「この雪の夜に紛れて、六波羅より伊藤景綱は舎人とねり(内裏雑役)に、だて太郎貞康は牛飼いに変装いたして内裏に忍び込み、女房衣裳にて内裏をお出ましの主上を御車に奉じて抜け出ますると、土御門東洞院には小松の若殿(重盛)池殿(頼盛)三百騎を従えて待ち受け奉り、御車を守護、無事六波羅に入られましたる次第・・・」
弥五左はわが功名手柄のように弁じ立て報告を終わって去った。
天皇を迎えたと聞くと、父祖から公卿の血をけた時子は伝統的な感覚で身体が引き締まる。
── 二条天皇は故忠盛の居館の、そのままに空いている舘を仮御所とされて、乳母子めのとごの藤原惟方は近侍し、おいおいに馳せ参じた公卿殿上人が六波羅門前の雪を搔き乱して車馬が賑わった。
── それをよそに北の方は産月うみづき近い姿を人目眼にさらさず引き籠らねばならなかったが、阿紗伎が情報を絶えずもたらした。
「上皇も内裏よりひそかに馬に召されて、蔵人くろうど一人をお供に御同腹の弟君御門主の仁和寺へ御つつがもなく渡らせ給うたよしでございます」
これで天皇、上皇を擁した内裏占領軍も、今は天皇不在の皇居の建物だけを占めているに過ぎないと知ると、時子はもう良人が朝敵の立場に置かれることはなしと、胸撫でおろした。
雪の降り止んだ翌早朝、清盛は妻の産所へ顔を見せた。
「内裏を占めた逆臣の軍勢追討の勅使を賜り、直ちに重盛を主将に一族郎党を率いて内裏に向かわしめた。だがようやく御造営成りしばかりの皇居じゃ、戦禍を及ぼさぬよう巧みに敵を皇城外に追い落とせと申し含めた」
「わが殿のさても御武運の強さよ」
時子が良人のすぐれた手腕に感嘆の声を揚げた刹那、人夫に強い感動が影響したのか、にわかに産気付いた。予定日より早まったのである。
阿紗伎や侍女が慌てふためき、一同用意の白絹の小袖に着替え、北の方も白一色の産褥衣さんじょくいとなる。今までも、北の方のお腹の宗盛や姫方をいつもとりあげた産婆役の“汐戸”がまかり出る。
男子禁制の産室では、良人の清盛も退散せねばならず「みなの者、頼むぞ、頼むぞ」と言い残して去る。
一刻の後、仮御所に控える清盛に「姫君御誕生、御母子おすこやかにおわしまする」と使者の口上こうじょうが伝えられた。
2020/10/09
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