~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
雪 明 り (二)
── この六波羅に天子を迎え、武者は勢揃いして戦場に繰り出した大事件のさなかに、まや一人の姫の母となった時子は、産後疲れの身を横たえた産褥で、しみじみとものを思わせられた──わが見る男たちは政権を争う戦いを仕事にする。女はその男たちの子孫の供給人として、“生産”という危険と戦う・・・だがもうたくさんである。
時子は、後白河上皇のお好きな今様の歌謡の一つを思い出した。
女の盛りなるは、十四五六歳廿三四とか、三十四五にしなりぬれば、紅葉の下葉に異ならず、
これは当時の早婚の男性の勝手な女性観であるが、時子はまだ三十二歳ながら、もうこれ以上子を産むのを打ち切りとしたかった。何故なら和子なら棄て置いても、宗盛、知盛らは武士として父や家臣が育て上げ得る。けれども姫は生さぬ仲も入れて五人、これはこの母がその女の一生の幸福を願って導き育てねばならぬ。その大きな仕事が前途に待ち受けるのを思うと、もう五人の姫だけでも相当の負担だったから・・・。
五人目の姫誕生の産褥で時子がこうして真剣な思いにふけっている時、六波羅の門のあたりは兵馬の往来にひづめの音が絶えなかった。もしやここも戦場かとは思っての、時子は良人を、家臣を、信じて静もっていた。
七夜の祝いは奥の女たちだけで、ひそやかにすましたが、清盛からは“のり子”と命名が伝えられた。
まだ産室に籠る時子は、天皇を六波羅へお迎えしたとなれば、供御くごの御膳のことやら何やら清盛の妻として心を配らねばならぬに、あいにく今は何一つ出来に事が残念だった。
「御案じ遊ばすな、おいおいに近侍の殿上人ら馳せ参じられて、御用を弁じられ、お指図なされるとのことでございます」
阿紗伎は仮御所の情報も手に入れている。
「お若い帝は、この六波羅でどのようなごようすでお過ごしであろうか」
女装されて内裏を脱け出されたり、・・・おいたわしいと時子は想像する。
「内裏の女房装束がお似合いなさるほど華奢なお姿のお十七の帝であらせられますから、六波羅の武家屋敷の仮の御所もかえってお珍しげなごようすと、守護の侍たちは申して居ります」
「帝の御心のお悩みは、この反乱のことよりもほかにございますと、もうけてまわります」
「そうはっきり言う阿紗伎は深刻な表情だった。
「それは御父上皇の院政に御不満ゆえか・・・」
「いいえ、恋ゆえのお悩みでございますと・・・」
時子は驚かされた。
「帝には鳥羽法皇の内親王さまを中宮にに迎えられたはず ── それをよしにして恋のお悩みとは内裏の局の美しい女房にでもか・・・」
「それなら、もうありふれたこと、お悩みと申すほどでもございますまいが ── それがmあのただいま近衛河原の大宮御所におわします近衛帝の御きさき、帝崩じさせ給うてからひたすら御供養と琴や絵筆に親しまれてのみお暮しの太后さまをお慕い遊ばされての恋のおわずらいとのこと、これはもう内裏でももな知って居りますよし」
かつての近衛帝の后は有名な麗人藤原多子まさるである。年齢は二十一になられる。
「なんと──いかに」一天万乗の君でおわすとも、先の帝の御后なりし御方への儚い恋はお棄てにならねば・・・」
「それでも、どうでもわが后に迎えたい。天皇の玉座にあれば、わが望みの達せられぬ事はあるまじとの仰せで、御父君の上皇さまも苦々しく御嘆きとのこと、ごもっともでございましょう」
阿紗伎は顔を曇らせた。
時子は呆然とした。わが六波羅に御幸の若き帝に恐懼きょうくしていたのが、にわかに変わって烈しい幻滅感に襲われた。それ多いが、この帝がさながら非行少年めいてさえ考えられる。
2020/10/09
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