~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
対 屋 の 姫 た ち (一)
その翌春の六波羅の吉例の牡丹の招待客は美福門院の喪の明けるまではと自粛、ごく内輪の客だけに止めた。
その少数の客の中に、わが弟平忠時の顔を見ると、時子は宮仕えの妹にも久しぶりで今日会いたかったと思う。
「少弁(滋子)も参ればいいのに」
「ところが、めでたきことで参れませぬ」
時忠は浮々と上機嫌で告げた。
「そは、いずこかと良縁を得てかの」
時忠は首を振り姉の傍に身を近く寄せた。姉弟は客の群を離れて向かい合った。弟の様子のただごとならぬを時子はいぶかしんだ。
「姉上、お喜び下されよ。滋子は上皇の寵を受けてみごもりました。われら平家一族の誉れともなりましょう」
時忠は自分の功名手柄を誇るかと見える。だが、姉は烈しい衝動を受けてたじろぐように、
「小弁は上西門院に出仕ではありませぬか」
「上皇が准母じゅんぼの姉君の門院を訪れ給うた折、美しき小弁がお眼に止まり・・・ただいまはすでに法住寺殿ほうじゅうじでんに移り居ります」
その法住寺殿は後白河上皇の御所だった(現三十三間堂前の法住寺一帯)
今、弟時忠が得意になって述べ立てる言葉を聞くと、時子は彼が妹を上西門院の女房として出仕させる時から、上皇の好色の手に妹が捕えられるのを密かに願っていたのではないかとさえ思われて、これこそ公卿の長袖流のいやらしさよと、思い当たる気がした。
だが ── その夜の居館で清盛も今日時忠からの報告を聞かされた時子に向かって、
「そちがよい妹を持ったおかげで一族に光がさしたわ。願わくば皇子御誕生をと切に願うぞ。時忠も同じく願っとる」
清盛のはずんだ声に、時子はわが妹が思いがけぬほど、わが良人に大きな政略的な希望を抱かせているのを知らされた。滋子が上皇の寵を得て、もし皇子の生母となれば清盛も義兄として朝廷にゆるぎなき絆を結び付ける・・・いま滋子は兄と義兄の男二人に幸運を授ける生きた骰子さいころになっているのだ。
── そちがよい妹を持ったおかげで ── などと良人から言われるのが、時子にはこそばゆい感じだった。だが妹はこの姉と違って、むしろ単純な女らしい現実的な賢さを身に帯びているのを思いと、その妹にふさわしい境遇を神が与えた気もする。
── やがてその秋九月三日、滋子は兄や義兄の熱望に応じたごとく、上皇の皇子憲仁のりひと親王の生母となった。親王は現天皇の弟君に当たる。
親王誕生を記念するように翌日“応保おうほう”と改元。
義兄の清盛はまもなく権中納言従二位に任じられた。公卿の肩書に似合しい位階だった。
「このように、めでたき事ずくめでは怖ろしいような気がいたしますの」
時子は良人に言いもした。得意絶頂で浮かれている時忠が六波羅を訪れると、
「皇弟憲仁親王の伯父君ともなられたからには、軽々しき振舞はかりそめにもなりませぬぞ」
と釘を一本打つようにした。この弟の才気はあれどやや軽佻なのを案じる時子だった。
その姉の杞憂が当然だったように、時忠の軽挙妄動が彼自身を大きくつまづかせた。
2020/10/12
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