~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
闇 の 闖 入 者 (二)
北の方はわが養いし娘ながら。いま圧倒されてか帝にその姫を披露の言葉も忘れたかのようだった。
「これもこの浄海の娘佑子でございまする」
乳入道が帝に披露した。
十一歳の少年帝は魅入られたように、その美しいひとを見詰められる・・・。佑子は羞恥の念におののいて、帝の前を退がる。うしろに長く長くなびく白綾に銀糸の裳が雲となって、この乙女を乗せて大空高く月の宮居へ連れ帰る気さえするのを、はるか末座から眺めた汐戸は感極まって涙がにじむ思いだった。
その後に寛子、典子姉妹の衵姿あこめの袖を連ねて帝の前にうやうやしくお辞儀するのに、少年帝は微笑を向けられた。
── 帝と供奉の一同に、入道の自慢の唐菓子からくだもの茉莉花まつりか茶が供えられてしばらくののちに、が二面運ばれた。佑子と徳子の御前演奏の合奏であった。
“宮の鶯”は単純な曲だったが、次の“友千鳥”は松風、浪の音、千鳥の啼く声、海辺の感じを巧みにつづって、唄の間の手事(合の手)の妙をつくした曲だけにむつかしかたた。
徳子は練習不足かその手事をひとところ間違えた。すると佑子も徳子の間違いが目立たぬように、自分もそれに合わせた・・・。
それを気づかぬ人が多かったが、汐戸は祐姫の熱心な練習を耳に入れていたので、ハッと気付いて、胸が痛くなり、涙ぐましくなった。
── なんというお優しいお方 ── 唄声も手事も佑子はまったくすぐれていた。その演奏が終わると帝から従姉妹の姫たち四人に下賜品があった。佑子、徳子には揃いの浜松蒔絵の文台、黒地の松の州浜に散る貝は梨子地なしじ研出とぎだし、妹姫の寛子、典子には朱塗の柳桜の平蒔絵だった。春の陽がようやく傾きかける頃、少年帝は御生母の義兄と実姉夫妻の邸で歓待を愉しまれて還御された。
そのあとで、姫付きの乳母たちは今日まで張り詰めた気がいちどにゆるんで、いっとき虚脱状態だった。
還御の葱花輦が皇居に達せし刻を見計らって、入道相国と北の方夫妻は今日の御幸を謝し奉る御礼言上ごんじょうに、宋船渡来の翡翠ひすい透彫すかしぼり硯屏けんびょう蘭奢待らんじゃたいの香木の献上品を持って参内した。
間もなく入道相国夫妻は館へ戻ると、四人の姫たちを呼び寄せて告げた。
「帝は姫たちいずれも美しく、ことに上の姉妹の合奏をめでさせ給うて、この父母まことに面目をほどこした。そうなると欲が出て、やがて六波羅の牡丹花の盛りの宴には佑子、徳子の合奏を花の客たちに披露したいと思うぞ」
父の入道相国が言われると、北の方もうなずいた。
「それには牡丹の宴にふさわしい曲を世尊寺夫妻に案じさせましょう」
「そのように計らうがいい、わしは福原に明朝参るが、あちらにも教盛、頼盛の別荘も建っておいおい賑わっておるゆえ、時子も共に参らぬか、そなたもちと骨休めをするがいいの」
良人の優しいすすめに、日頃西八条を離れたことのない時子も応じて、
「それではお供いたしましょう。この母も福原で休養いたすゆえ、姫たちも御幸を仰ぐについて何かと気づかれ、しばらくはいずれものどかに致すがいいの。また乳母たちもさじかし心を労したであろうの」
と、北の方は言うなり傍の阿紗伎に、
「あの品をここへ」
と命じられて、阿紗伎が運び出した品は四人の乳母それぞれに見立てた浮紋織の一巻ずつがそれぞれ功労賞として与えられた。
220/11/18

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