~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
雪 丸 あ わ れ (一)
法皇と、建春門院は熊野の旅から予定よりはるかに早く帰られた。それは法皇が女御の女院を伴われたので、いつも熊野行幸の途上、諸国の国司たちが接待の白拍子を集めて行う幾夜の宴を遠慮されたからであった。
女院が帰られてから二、三日後、旅の疲れもえられた頃を見はからって、姉の時子が法住寺殿の女院のつぼねに参上して無事の帰洛を祝う鮮鯛一籠を献上した。
「わが旅の留守に、帝が西八条で心こもりしもてなしを受けられたと喜んで仰せられた」
高倉天皇は生母が帰洛されると、まずそれを告げられたのである。父の法皇、母の女院の留守中もっとも愉しかったのは西八条の一日であったから。
「まあ帝の、そのようなかたじけなきお言葉、身に沁みてうれしく存じます」
時子は心を尽くして御幸を迎えし甲斐ありと嬉しい。
「入道相国の四人の姫を謁見したが、いずれも美しくみやびやかで、ことに二番目に謁見に立たれた姫のろうたけたたおやかさと筝のたくみはみごとであったと仰せられました。二番目に御座所に進み帝を拝されたのは、徳子でありましょう。まことに幸い、かねて徳子の入内はかならず叶えたいと思うておりましたから、姉上もおよろこびなされませ」
── だが姉の時子の顔色のただならぬに気付くと女院は驚かれた。
「姉上には徳姫の入内はもってのほかとお思いであろうか」
「いえ、いえ、それこそ入道さまもお望みなされ、平家一門のためのよろこびこれにしくものはございませぬ。さりながら、御幸の日の拝謁に最初に御座所に進みましたは徳子・・・」
小檜垣の進言に従ったそれがかえってあやまちで、女院にぬかよろこびを与えたと時子は悔いる。
「なんと、それでは二番目に謁見の姫はあのゆう子・・・九つまで尼寺にあった脇腹とての御遠慮でありましたか・・・」
その姫が皮肉にも姉妹中立ちまさる容姿とも言われぬ“もののあわれ”のこもる風情が少年帝の心をさえ動かしたとは・・・。
「あの佑子をあわれに思い、姉上におすすめして西八条に引き取らせしはわが身という因縁もあれば憎からぬ縁、されども女御に入内とあれば姉上実子の徳子さえ、いずれは法王さま猶子ゆうし(養女)として入内の手順を踏まねばと思うて居りましたのに・・・」
「あの佑子はすでに近衛少将冷泉院隆房卿と婚約成り、六波羅の牡丹の宴終わりてのち挙式とさだまっております」
「おお、それならなんの御案じありましょうか、婚約ある姫をいかに帝の思召しに叶おうとも、いかで女御に差し出せましょう。この上は徳子の入内を一日も早うはからいましょう」
時子はホッと救われた感じだった。帝は十一歳、徳子は十五歳の四つ上である。だが一つ上の十六歳の佑子に魅力を覚えられる帝である。すると年齢の問題よりも徳子が帝の思召しに叶うかどうかが気がかりである。もしも“天皇”の権威によって、どうでも祐姫をと御執心なされたら・・・などと日頃は気性の強い時子もその点ですっかり弱気となった。
2020/11/29
Next