~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
藤 波 局 (一)
牡丹の花盛りの六波羅の宴はその年も好晴に恵まれていた。平家の盛んな運勢を示すように、牡丹の宴に雨を見たことはないと言われていた。
世尊寺伊行これゆきも西八条の姫たちの師になって以来、妻の夕霧とのちには奈々まで招かれているが、毎年晴れわたる空の下の牡丹はみごとな眺めで心楽しかった。
だが ── この年の牡丹の客の伊行は怏々おうおうとして心楽しまずであった。この日ゆう姫が平家の姫としての名残を惜しむ筝曲弾奏のために彼が苦心の歌も曲も、まったくその目的を失ったものとなった。そ残念と腹立たしさに胸ふさぐのである。
夕霧は姫の今日の最後の練習の為に、早朝から六波羅へ奈々も連れて出かけたが、伊行は宴の開かれる頃に出かけて牡丹園に入ると、いつもは当日の歌会用の揚羽蝶の家紋をつけた幔幕まんまく の幕屋が置かれているところに、筝曲演奏用の檜造りの舞台が設けられて、すでに金屏風を背景に唐渡りの緋毛氈ひもうせんが敷かれてある。
それを見ても今日の宴で処女おとめの日の名残の姿で演奏されたらと、返らぬことが伊行には残念でならぬ。
まだ客の姿はまばらで、あたりは静かである。
「おう世尊寺殿、久しく会う折もなかったの」
声をかけて伊行のそば近く歩み寄って来たのは入道相国の異母弟四人の末で、もっとも年少の二十八歳、平家一族の美男系の忠度ただのりだった。官職は宮城護衛の武官左兵衛佐さひょうえのすけである。
異母兄清盛の父忠盛が晩年若い侍女に生ませたこの忠度は、父の歌人の才能を受け継いで歌道に熱心だった。その関係から伊行は知り合っていたので、なつかしく挨拶を返すと、
「貴殿の作曲という牡丹の宴の筝を聴くのを愉しんで居ったが、さてまことに興ざめのこととあいなったな」
顔を合わせるなり忠度にそう言われて伊行はハッとした。
── やはり、この平家一族でのすぐれた歌人のこまやかな情緒で、美しいめい佑子の処女の日の名残を惜しむ今日の弾奏を望んだのが、みごとに裏切られて、憤懣に堪えぬと知って伊行は言葉もなかった。
「佑子は姫姉妹の中でも、まことに優艶きわまる容姿でありながら、その心ばえは浅はかなりしとは知らなんだ。あの好き者の近衛少将にたやすく射止められたあげくに、牡丹の宴を目前に控えてあわただしき婚礼とは・・・げに心なき仕業よの」
この多感の詩人肌の若い叔父は、美しい姪のゆかしからぬ心情に幻滅している。
「そ、それは祐姫のお心からではござりますまい。隆房少将がむしゃらに婚儀を一日も早くと強いられたと思われまする」
伊行は祐姫のために黙ってはいいられぬ。
「なるほど、あの好き者ならさもあろう、そのようなさもしき男のもとへ嫁がせられるとは、佑子のあわれよの。ともあれ今日はあのいやらしい男の北の方の奏でる筝など聴きたくもないわ、おかげでせっかくの牡丹を眺めても歌も湧かぬ。よって身共はもう退散いたそう。さらば世尊寺殿いずれまた・・・・」
と言うなり背を向けて立ち去りながら、朗々とした美声で誦するのは ──、
前途せんどほど遠し 思ひを雁山のゆふべの雲に馳す
後会期はるかなり えい鴻臚かうろの暁の涙にうるほす 
この感傷に満ちた漢詩を伊行は聞くと、ふと大江広元を連想した。広元は調子はずれの声だが、やはりこれと同じ「和漢朗詠集」の詩句の“ともしびそむけては共に憐れむ深夜の月”の一聯いちれんをよく朗詠するからである。いま有情ゆうじょうの若き武士忠度も、この“前途ほど遠し”の一聯の詩句を日頃愛誦しているのかと、その後姿を伊行が見送っていると、妻の夕霧が良人の姿を探し求めてそこに来た。
「姫方はさきほど、舞台のうしろのお控えの間にお入りになられました。ちょっと御挨拶に伺って下されませ」
彼女は最後の仕上げの練習をすませて、その控えの間まで姫姉妹を牡丹園に送り込んで牡丹園に立ったのであろう。
「そう思わぬでもなかったが、演奏前に伺ってはお心を乱そうかと御遠慮していたのじゃ」
「その遠慮には及びませぬ。今日御弾奏の作曲をなされたお方がおいでになって、ひと言お励ましになるのは当然ではござりませぬか」
妻に言われると、作曲者として演奏前に激励に顔を出すべきだと、伊行は思う。その良人を夕霧は舞台裏のきざはしの下まで案内して言う。
「ここをおあがりになった奥のお控えが祐姫、そのお隣が徳姫さまでございます」
階の下には雑色たちが、みだりに人の出入りをさせぬように数人立、上ったすぐの板敷には侍女たちがたむろしていた。
2020/12/03
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