~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
断 金 の 友 (一)
大江広元が病床を離れ得た時は、平家が誇る六波羅の牡丹も散り果てて、京の都を囲む山々が翠緑におおわれた仲夏ちゅうかに入っていた。
その長い療養生活を三善康信の邸内で送った。それは発病直後の絶対安静を続けねばならぬ状態を脱した後も、病人を大江家に帰らせるのが康信には気がかりだったからである。というのは、広元の実父維光は老いて先年式部少輔を辞して隠居、広元の異母兄匡範まさのりが家邸を相続している。すでに妻子もある。広元は生母が父と離別してから、中原季広家に養われて育ち、のちまた生家に戻ったので、年齢の隔たる異母兄とは馴れ親しむ折もなかった兄弟だった。
そうした寂しき三男坊が書庫の傍の曝書用の家屋に起き臥しする孤独の身辺をよく知る康信は、広元がこれからの長い療養を要する身で、その異母兄の家で厄介者の病人となるのは見るに忍びなかった。
しかも、それは康信だけでなく、その妻の八重女も良人からほぼ大江邸の家庭の事情を聞いているだけに、進んでわが家で出来るだけの看護の労をいとわぬと。良人に申し出た。
けれども、広元の気性として病の危機を過ぎても友の家庭に迷惑をかける心苦しさに堪えられず、明日にも大江邸へ帰ろうとするのを、この夫妻はつよく引き止めた。
「広元殿の病には、この康信が責めを負わねばならぬと心得る。あの日貴君を洛外の散策に誘い、時ならぬ雷雨にて、烈しき雨に打たれしがもとにて病を発せられしを思えば、御快癒を見届けるまでは、あくまでこの家にてわれら心をこめてみとる(看病)が当然、なにとぞこの家にてゆるりと御療養を願いたい」
と表面は責任を言い立てる。傍から八重女が、
「まだ油断のならぬ御容態にてお邸にお帰り為されては、わたくしども日夜案じられてなりませぬ。なにとぞ、いましばらく・・・」
康信の妻のまもとこもる優しさに広元もさからえぬ。
こうして、ついに彼はその後も三善邸の病床にあって、夫妻と、そしてその家に孤児の身を寄せている康信の従妹の十六歳の雪女が助手となって看護につとめた甲斐あって、全快期を迎え、やがて少納言局に出勤が叶うまでになった。
大江家でも三男の広元を他家へ預けたままにして置くのは、世間の聞こえにもかかわると帰宅をうながすので、いよいよ生家の邸へ帰ることとなった。
久しぶりの湯浴みも、病床でのびるままにまかせた髯にも剃刀を当てて、大江家から届けられた直衣のうし指貫さしぬき(袴)を身につけると、ようやく彼は自分自身を取り戻した気がした。広元はいまさらに発病以来大事な家族に一員のように扱われて、病床の日々を送った三善邸への名鳥が名残が惜しまれた。
明日は大江邸へ帰るその前夜、康信の妻八重女の心づくしで快気祝いの食膳が据えられた。
膳の上には小鯛の皿も置かれ、祝い酒の瓶子へいしを雪女が広元と康信の盃に満たした。
「嬉しや、これで安堵いたした。いちじはどうなるかと胸も潰れる思いだったが、幸い病魔退散、御病後の広元殿はどうやら以前にも立ちまさって凛々しい男振りに見受けられるの」
こう言う康信は日頃になく浮々としていたが、彼の言うように燭台の灯明りに見える広元は、もみあげ・・・・から頬にかけて青々とした剃りあとのさわやかさ、筋骨質の引き締まった彫の深い顔立ちが前よりもあざやかに見えたのは、病苦と心の痛手を克服した雄々しい男の精神力の現われかと見えた。
「あの病厄にてもし運つたなくば危うく生命を落さんものをと、まぬかれてすこやかな心身を取り戻せしは、これひとえに康信殿御夫妻の御懇情によるは申すまでもなけれど、また雪女どののこまやかな行き届きし御看護によると、広元肝に銘じて忘れませぬ」
広元は粛然しゅくぜんとして改めて手をついて礼を述べると、康信は手を振ってそれをさえぎり、
「さような、かた苦しき言葉はわれらの間では一切無用に願いたい」
康信が言うと、妻の八重女も、
「わたくしなど子持ちの身とて、とかく不行届きになりがちのところを、幸いこの雪さんが手代わりとなってわたくしも大助かりでございました」
と言おう通り彼女はすでに一児の母である。その幼い児は康俊、乳母にもつけず母の手で育て上げるつつましい家計だけに手がかかる。そのなかを良人の 畏友の病床の世話では、たしかに良人の従妹が居たのは仕合せであった。
「その雪が広元殿の病気平癒の祈願を清水寺きよみずでらの観音にかけたので、明日はめでたき祈願成就の御礼詣りに出かけるそうな。そうであろう雪」
と康信の口からひそかな祈願まで広元に告げられて、雪が狼狽と羞恥に身の置きどころもないほど頬を染めてうつむく初々ういういしい姿を見て広元は、
「雪どの、まことにかたじけない・・・」
こうべを深くさげた。
清水寺は大同二年(807)に坂上田村麻呂夫人が建立した観音像をまつる仏堂で、音羽山を背景にした当時は険しい坂を辿らねばならぬ。
── 快気祝いの夕餉もおわると夜は更けた。八重女も雪女も座を離れた。あとは男同士二人が向かい合った。また会えぬわけではないが、ながかりし病の日数をこの友のあたたかな家族に看取られて生命びろいをした家を明日去るという感傷が、広元の胸に湧く。
「康信殿とはさながら前世からの深いえにしに結ばれた如く、このたびの御懇情を蒙りて、この広元生涯何をもってむくい得るかと・・・」
「これはまた何を言わるるか、そのような酬いを求めて貴君に尽くしたのではござらぬ。貴君のごとき秀才の士が、むなしく病魔に倒れんことを惜しんで尽くしたに過ぎない」
「その厚き友情こそなによりかたじけなき我が身への賜物、わが生涯康信殿とは断金の友として交わりを乞いたい」
「それはこちらより願いたきこと」
康信はわが意を得た喜びに眼を輝かすと、
「されば、康信殿、貴君の従妹のあの心優しき乙女の雪どのを身共の妻に貰い受けたいが、この儀いかがでござろう」
広元の申し出に康信は一瞬とまどったようだった。
「さては雪がひそかに広元殿に心寄せるを察しられてか・・・さりながら、われらが貴殿への看護の労に酬いんとて、雪をめとられるなどとあっては、われらの志が無になるも同然、そのようなお心づかいはこの際ひらに御容赦願いたい」
「いな、いな、わが妻をさだめるは男子の一大事、それを軽々しく貴君への謝礼代わりにに雪どのを娶るなどあっては、第一あの純真無垢の息どににあいすまぬ。この広元は身につく財産もなく、権力の位置もなき一介の貧書生、それにあのような乙女のまごころを寄せられる雪どのこそ、mた得がたき生涯の好伴侶と思えばこそでござる」
広元は彼女の手厚き看護を受けた日々のうちに、すでにそれと心さだめていたのである。祐姫への執着の愚痴を一刀のもとにえぐり棄てる一大飛躍を決行すべしと ── 彼の冷徹な理智の目覚めは彼を悩ました病気の賜物であった。
2020/12/03
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