~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
徳 子 入 内 (二)
「女院と白河殿の御配慮を受けて徳子も果報よの」
「過分のおことば恐れ入ります。その母上さまの御信頼をよいことにして、じつはぜひともお聞き入れ戴きたいお願いをことのついでに申し上げます」
「これは異なことよ、何一つ申し分なき御身分の白川殿よりこの母への願い事とは? なんであろうか」
基道もとみちの北の方に寛子を戴きたく、この儀いかがでございましょう。ほかにもう婚約ととのいますればともかく、さもなくばぜひとも ── わたくし摂政殿には早くも先立たれ、藤波局も失せ、身よりとてはなき邸の明け暮れのさびしさと、さぬ仲の嫡子ちゃくしにわが血のつながる妹を迎えたい念願が起こりました」
盛子が育てた基道は亡き良人基実の先妻の子で、寛子より一つ下の十三歳である。
「いかにもそれはありがたき思いつき、寛子は幸いまだ縁談の約束もなし、喜んで摂政家に輿入こしいれさせましょうとも。おっとりした素直な色白の愛らしい眉目の子、基道どののよき妻になれるよう、しゅうとめの姉君御配慮下されよ」
時子は願ってもない幸いと乗り気である。十四歳の姫の意志などこの時代問題外だった。
「父上の思召しはいかがでございましょう」
「それは入道殿もお喜びなされるにちがいなきこと御懸念は無用」
平家政権の指揮者として今も六波羅を平家政庁として日々出向く良人清盛が、今日西八条へ帰館してこの縁談を知れば満悦至極のはずと時子は確信する。徳子は入内、五女の寛子は姉を姑として摂政家の相続者に嫁ぐとあっては、よい事ずくめではないか。
「徳姫は御入内、寛姫は姉君おわす摂政家の御嫡子の北の方に、まあおよろこび事の重なりますことよ」
阿紗伎も浮々きした声である。
「お約束を戴ければ、徳さま入内の儀あいすみてよりのち、寛さまの婚礼の挙式もいたしましょう」
「おお、それはよい時機、なにしろ徳子入内はいかに支度せかせてもまず年内ぎりぎりであろうゆえ、寛子の方は明年の春を待ってといたそうの」
と、上機嫌の母に盛子は手をついて、
「すみやかにお聞き届け戴きまして安堵いたしました。さて今日は徳さまにお祝いを申し上げたく、寛さま、典さまにもお会いしに、あちらの対に参りましょう」
阿紗伎が侍女たちに盛子のたどる渡殿わたどのをお供させる。
東の対屋に入り徳子の居間を訪れ祝いを述べると、温順だが才気に乏しい妹は言葉少なくお辞儀を返すだけだが、傍に控える小檜垣は薄い唇を絶え間なく動かして、
「もうこれで、この小檜垣いつ死んでも心残りはございませぬ」
などと、姫入内に漕ぎつけるまでの功労を言外にほのめかして、鼻高々と示威するのを眼のあたりに見ると、母や阿紗伎がこの乳母を忌避するのがもっともと思われた。
次に寛子を訪れると、その乳母も乳をあげた人に代わって、若い侍女がお守役と身のまわりの世話にかしずいているが、何も出しゃばらず」、姫が手習いに向かう机のうしろから宋船渡来の棕櫚しゅろの葉の大団扇うちわで姫に風を送るまめやかさである。
妹の寛姫も母の言うたように、おっとりと素直で色白の肌が夏の生絹すずし単衣ひとえを透して匂うようにいと涼し気に、濡羽ぬれば色の丈なす髪のまだ鬢枇びんそぎ前の姿もあどけない。
来春、白川のわが邸に迎えてから、やがて良人基道の手でこの人の頬の鬢の毛を切らせて女子の成人式の鬢枇を ── などと盛子はそれも愉しいこtに思われて、机の上の手習いの紙をのぞくと、さすがに世尊寺伊行の教えるだけにみごとな筆跡である。
「お稽古は怠りなくなされよ」
と姉らしく言い置きしていずれは父や母から改めて摂政家との縁組は知らされるはずのこの妹の居間を出て、西の対屋に渡る。
2020/12/12
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