~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
典 姫 婚 儀 (二)
七条修理大夫信隆が、西八条の館を訪れて清盛の北の方に対面したのは、末の姫への求婚申込のためだった。
いったん思いもかけず行き悩みとなり、典姫はいちずに「鶴の庭の邸へ嫁ぐ」と童女のように喜んでいるのに手がつけられず、母の時子を困惑させている最中に、これはまた思いがけず問題がにわかに好転したので、北の方はとまどいするほど嬉しく、ホッとして肩の重荷がおりた気持だった。
典子の婿むこがねがどんな人物かとも知ろうともせずただ鶴々というが、いま時子の眼の前の信隆は年齢は初老をもうとくに過ぎた五十歳に近い。女ずれの俗臭はみじんもなく、まことに高雅に枯淡の風采品格を備えて、まさに庭に鶴を飼うにふさわしい感じがする。
「あのようなわがままな娘をお引き受け戴くのは御迷惑かと案じて、この縁談はないことと諦めて居りましたが・・・」
時子はそう正直に言わねばならぬ。
「いや、この身もいたってわがまま者にて、平家の姫の婿になどなってはさじかし窮屈、肩が凝ってなるまいと、世尊寺度には無愛想な挨拶を申しましたが」
「さよう伺いましたが、それをお考えなおし下さった仕合せ」
と、時子は彼の心境の変化は、やはりわが平家の威光によってかと思う。
「いや、じつは・・・」
と信隆は言いかけて、冷泉北の方の来訪はかたく口をつぐまねばならぬと思う。
「大江広元殿がかつて典姫の姉君へ漢学の御教授に参られしよしにて、典姫を童女のごとく無垢で愛くるしい限りと言われ、この姫が世の常の公達に嫁がれるよりは、七条修理大夫がもっともふさわしいと、いや、いささか煽動されたかたむきにて、年甲斐もなくまことによい心持にささられまして・・・」
信隆はあとの言葉を笑いで紛らす。
「ほんに、それは広元殿の仰せの通り、よくも典子の性質を見抜いて居られますこと」
いちどは、その広元を典子の婿にとひそかに心さだめし時子であっただけに、いま複雑な心境でもある。
「あの頭脳明晰の少壮学者の意見には、この老骨一も二もなく傾倒いたしまして、不肖信隆つつすんで典姫を迎えたくお願いいたしまする」
「こちらよりも典子の生涯、よろしゅう願い上げます。なにとぞお手許にて七条十里大夫さまに似合いの北の方にとお仕込み下されよ」
時子も慇懃いんぎんだった。これで婚約は成立した。
その場の光景を下の座から見詰めていた阿紗伎も嬉しくそわそわして、
「典姫との御対面もいまこの時、いかがでございましょう」
婚約後の見合いは逆ではあるが、その頃は互に顔も知らずに政略結婚が行われた。この場合は政略ではないがやはり婚約が先行した。
── まもなく、典子が安良井に付き添われて現れた。
彼女はすでに鶴を飼う邸の主が訪れたことを知らされている。安良井の手で化粧も念入りに秋の小袿も美しくよそおう姿だった。
彼女はついさっき、婚約が成ったとは知らず、かねての婚約者が母の前に居ると思って心ゆくまで眺めると、鶴の飼い主のなんと好ましく思われたことか! 今でいうロマンスグレイの小父さまである。わが母に甘えたように甘えられる気持もする。
信隆にはあの臈たけた冷泉北の方の妹姫としての連想があった。だがいま眼のあたりに見る妹姫は、広元の言った通り童女の殻を背中にまだ付けていられる。心身ともに未成熟の感じである。妻に迎えるというより、養女に貰い受ける気がする。
だがそれもよかろう・・・信隆は笑顔を姫に向けて、
「わが邸の鶴がお気に召したそうな」
「はい。たくさんの鶴がお庭に遊ぶのを早う見とうてなりませぬ」
あまりの幼さに、母の時子は顔を赤らめたが、信隆は呵々大笑した。
「わが庭の鶴たちもお待ちいたして居りまするぞ」
と言うこの婚約者に、時子は安心してわが娘を託せると思った。
2020/12/20
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