~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
廊 の 御 方 (一)
典子が産後の保養中に西八条の庭の梅花は散り尽くして、桜にはまだ間のある頃、ともすると春寒の日がつづく。
母子共にすこやかで、もう七条の修理大夫邸に帰ってよいと思えるが“和子に風邪でもひかれては”と時子が案じて、もう二、三日と引き止める。
「典姫さまをお帰しなさるのが、おさびしいのであろう」
阿紗伎も安良井もうなずきあう。ところがその母の心を娘は知らず、
「早う、七条へ帰りとうてなりませぬ。修理大夫さまも信清どのも、庭の鶴たちもみなさびしがって居りましょうから」
と、母の前で言う。
「さて、さて、娘というものは、いったん嫁げば父よりも母よりも、婿君大事と見えますな」
時子は歎じたが、典子はおめず臆せず、
「母君もお若き日に六波羅の父君のもとへお輿入れ後は、同じでございませぬか」
と言い込めて、まわりの侍女たちを笑わせる。
── こうした日の頃、花山院北の方が実家の西八条を久しぶりで訪れた。かつての対屋の姫君姉妹の一の姫で、八歳の時に中納言藤原成範しげのりとの婚約は平治の乱で婚約者の一族」没落の為に解消されて、のち花山院兼雅に嫁し、いまは二人の子息、一人の姫の母ともなって二十六歳、姉妹のなかの年嵩としかさである。
── 母の時子は、先の日に花山院のあやしき噂を知ってから、いずれは昌子を呼び寄せてくわしく聞いた上でと思案中のところだった。
「── おそろしき病厄にて心ならずも籠り居りましたが、たびたびお見舞いをたまわりし御礼を母上にもぜひとも申し上げたく、御産後の七条北の方にも久しぶりにておめもじと、今日のこの日はじめて邸の門を出ました」
才気には乏しいが、それだけに温順で律儀な気性のこの長女が、母への無沙汰をいかんばかり心にかけていたか思いやられる。
「おお、ようこそ参られた。あのおぞましき病厄はともすれば生命いのちにかかわるところを幸いにも軽うすまされて、父君もこの母もまず安堵しました。いずれは近く西八条へ招いてと思うたところよ。のう阿紗伎」
次の板敷から、
「はい、今日は思いがけなく西八条におんつつがなきお姿をお見せ下され、まことに嬉しく存じまする」
そういう阿紗伎の言葉に、昌子は顔を伏せて、
「なんのつつがなき身であろうぞ、業病ごうびょうのあとをいまわしくおもてにとどめて・・・」
と小袿の片袖で顔をかくした。
たしかに痘痕は彼女の両頬に見える。だがそれは採光の不十分な寝殿造りのなかでは化粧で目立たずにすむが、平家美男美女系の人としては堪えがたき劣等感に悩む不幸であった。
「それほど人眼にも立たぬものを気にかけぬがよい。世にはあの病にて眼鼻もわかたぬほどになる人もあるに、そもじはまことに仕合せしたものよ」
と、母の時子は力をこめて慰めて、
「して、忠経、家経、姫ともにすこやかに物学び(学問)に励むであろうの」
昌子を母とする外孫の名を口にする。良人の清盛は公務多端で実家に落ち着けぬ生活とて、おいおいに数の増える内孫や外孫の名を時としてど忘れすることもあるが、時子は祖母として内外の孫の一人一人に心をくばっている。
「はい、兄弟とも幸いに父母の病厄には染まず、つつがなく勉学に励み居ります」
「それは何より・・・して兼雅卿もあの病癒えられてのちお変わりもないいかの」
婿の兼雅は妻より烈しい痘痕を残したが早く回復している。伝染予防法のないこの疱瘡は貴族庶民の差別なく襲って、あたら高貴な顔に痕を止める貴人たちが珍しくなかった。
「はい、その後怠りなく出仕いたされます」
うつむいて答える昌子をじっといじらしく見詰めた時子はさりげなく、
「病後久しくひき籠られても、花山院家の奥はよき侍女たちがまめやかに仕えて不自由なく過ごされたであろうが、そのなかに廊の方とやら申さるる上﨟女房が居らるるというが・・・」
話はこれに触れても“人払い”の必要がなかった。心きいた阿紗伎は花山院北の方が現れた時から侍女たちはみな遠ざけていた。
「はい・・・」
ふとつまずいたような力ない返事が消え入るようだった。
「上﨟とあれば名ある家の娘御であろうの、それとも花山院家とゆかりある人かの」
時子はそしらぬ顔で問う。
「あの・・・それは平家にゆかり深き人でございます」
昌子はもう隠せぬとたゆたいながら答える。
「ホウ、この平家に深きえにしある人とは・・・入道さまのなさけを蒙りし女性にょしょうかの」
母の質問の矢にはもう逃れる術はなかった。
「その女性のひそかに生みし娘にございます」
「ホウ、この母はうかつにて知らなんだが・・・なにゆえそれが花山院家の奥勤めに迎えられたのであろう」
「わたくしが進んで迎えました」
「・・・それはまたどうして」
生みの母はさる方へ嫁がれ、その子は里親に預けられて生い立つとの事を耳にいたしあわれに思われるあまりに、四年前に花山院家に引き取り妹のようにいつくしみ、おおやけに身分は明かせぬままに廊の方と名付けて奥の上﨟といたし、いずれよき方に嫁がせたいと女の諸芸万端身につけるよう計らいました」
「それほどの、なんとみごとな慈悲のほとけ心をよくも起されたものよの」
時子は驚かされる。
「これみな、西八条の母君の御いつくしみ厚きお心を見習いたいと念じたゆえでございます。この昌子はただいまの中宮さま、寛さま、典さまの御姉妹となんのへだてもなくお育て戴きましたわが身の幸福に引き替え、日蔭に置かるるその人の身の上いたましく・・・」
言葉がとぎれたのは、時子の顔色が烈しく動いたからである。“なんのへだてもなく”の一語でこの昌子がわが身の出生の秘密をいつか知っていたことは時子に衝撃を与えずにはおかない。
2020/12/31
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