~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
廊 の 御 方 (二)
その時 ── 次の間から阿紗伎が気もそぞろに進み出た。
「花山院北の方さまに申し上げます。この西八条の対屋におわす頃に、もしや心浅き乳母や侍女たちの蔭口をお耳にとめての御推量でもございませぬか」
阿紗伎は六波羅時代に清盛が若い侍女に生ませた昌子を、時子の姫として引き取るにひと働きしているから、この場合あわてふためかずには居られぬ。
「阿紗伎もう案ぜずともよろしい。昌子がなんと思おうとも、この母は襁褓むつきの頃からあの六波羅にてこの手に抱きとり“ゆく末かならず幸多かれ”と頬摺りして育てし昌子には、わが腹を傷めし子には劣らぬ情が移って、嫁ぎしあとも何やかやと昌子の身にかかわれば心騒いで、今日もそうして廊の方とやらのことを問いただすこの母心は昌子にもわかっておろうもの」
「は、身にみてかたじけなくただ泣かれます」
昌子は泣き伏した。それは彼女の最近のわだかまる万感こもごも一度に胸に溢れたからであろう。
「この昌子の優しい心によって花山院家奥に引き取られたその廊の方の年齢のほどは?典子より下のはずと思うが」
時子は平治の乱のあとに典子が生まれて、そのあとに常磐事件が起きたと記憶が呼び起される。
「はい、十七になります」
「それでは、十四から昌子の恩義を受けておるに、それをよもや裏切られようとは思いもせなんだであろうに」
時子は長嘆息した。
昌子は石のように身をかたくして、沈黙するままだった。
「兼雅卿もわが妻の異腹の妹とは御承知であったろうの」
「はい・・・」
消え入りそうな答だった。
「常磐の娘なら美しくもあろうが、さりとて花山院の殿も殿じゃのう・・・」
時子は不愉快だった。それは被害者の昌子の母としてより、単に一人の女として釈然と出来ぬものがあった。
当時は正室に妹を妾の立場に置くようなのは不潔癖の感じを時子は受けた。
そうした神経の婿君兼雅に時子はあきたらない。それゆえにあの冷泉院隆房に操縦されて、祐姫征服の手伝いをさせられたのだ。いわば同気相求むる友情であろうが、隆房の方が好色の手腕は一枚上で、兼雅は不器用でわが妻の異母妹などに手を出してボロも出す・・・苦笑が湧き上がる。
「ともあれ、かくなる上は一つの屋根の下にその常磐の娘を置くは浅ましいことよ。もとの里親の許へ帰すがよい」
時子は判断した。わが良人清盛もいくたびか女によろめいても、妻と同じ屋根の下に置かぬ心づかいがあった。
「── さよういたそうにも、もはやみごもり居りまする」
昌子はあわれにも、自分のことのように恥じ入った声である。
「これはまた何とした事か、聞けば聞くほど見苦しきことよの」
時子も呆れたが、思うに懐妊したからこそ問題が発覚したのかも知れぬ。
「さりとて、そのままに棄てても置けまい。この母に思案もあるゆえ、昌子はもう何事も悲しまず、一切をこの里方の処置に任せるがよい。廊の方とて平家の娘、よきように計らいましょう」
常磐にもその娘にも好意は持てぬが、時子は清盛の妻として平家の面目を考えねばならぬ。
「病後の身にそのようなおもしろからぬ事を身辺に見てはさぞかし胸痛む思いであったろうに、あわれよ。もうこれからは何も案ぜず、好きな絵筆に遊んで気を晴らすがよい」
少女の頃から「竹取物語」の挿絵を模写したり、画才にたけて宮中絵所の巨勢こせ派門下の老画家に指南を受けた昌子である。
「病中もそのあとも悩ましき事のみにて、このところ一度も絵筆を手にとる心地もいたさぬままに打ち過ごしました」
「おお、それは大きな不心得。この西八条の対屋に学びしことどもは、生涯の悲しき時にも侘しき日にも心を励ますに役立つはずよ」
「はい、明日にもかならず久しぶりにて絵絹えぎぬに向かいましょう」
「それでは ── これから典子のもとを訪れて参られよ、久しぶりの姉妹対面、典子も喜ぶであろう」
母の言葉に立ち上がる昌子に従って阿紗伎が、
「御案内申しまする」
と付き添ったのは、あの典子がかねがね勘解由小路の義兄あに君が隆房卿に加勢して、典子の大事な美しき姉祐姫を略奪したことを怨んで嫌い、その北の方の昌子をも姉ながら親しめぬと阿紗伎は知っていた。それゆえに、万一典子が今日の長姉の訪問に無愛想の振舞あってはと、付き添ってゆく。
だが、典子もあの絵の好きな温和な長姉が疱瘡の跡を美しかった顔にとどめて引き籠らるると聞いてから、同情はひとしおで、「義兄君のお顔なぞは穴だらけになろうともいい気味きびじゃが、姉君はお災難、お化粧でかくれるほど軽うあいすめばよいが」と願う心境になっている。やんちゃな小姫もいまは和子の母である。彼女は、いま一日も早く明日にも婚家に帰りたがるほど、おとなになっている。
この日からまもなく花山院家で上﨟廊の方と呼ばれた美女が、その邸からいずこかに去った。
2020/12/31
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