~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
彗  星 (二)
禁中にては産穢さんえを忌み、妃といえどもその期に先立ち内裏を退出される掟とあれば中宮を平家の館に迎えねばならぬ。
平家の館は、西八条と六波羅にある。まずその方角の吉凶を宮廷の陰陽寮おんようのつかさの陰陽師にうらなわせることになった。宮廷でもこの方角の吉凶のうらないは重大問題で、天皇の御幸みゆきの方角がおもわしくない時は、前夜に他の方角の行在所あんざいしょにお泊り、翌日目的地に向かわれる“方違かたたがい”が行われた。
中宮御座所の方位の占は、六波羅が大吉となった。六波羅は平氏武士団の根拠地で、清盛一族の異母弟たちの邸宅がずらりと門をならべている。そのなかで池殿(頼盛)の邸はかつて生母池の禅尼が身を寄せていただけに、豪華な建築で、小さな湖水ほどの大池、森林のような樹木の庭の奥に邸があり、家臣の武士たちの詰める侍所も大きい。中宮警備にもっとも適当とあって、新しく産殿を建て増すことになり、参入の高官の朝臣を迎える用意に車宿くるまやどりも大拡張された。
用意万端ととのって、中宮のわたまし(御転居)を待ばかりとなった。中宮はすでにその六月に御着帯ゆえ、まもなく内裏をお出になる。その時は清盛夫妻も池殿に移って産殿に控えるとして、それまでの日は夫妻は西八条で顔を合せれば、
「ぜひとも御安産を願わしく」
「ぜひちも皇子御誕生を願うぞ」
が、夫妻の合言葉となった。
「われらの、このたっての望みを成就させるには、なんなりと大きな善根をほどこさねばなりませぬの」
「中宮の御安産、皇子御誕生を叶えるためとあらば、この浄海入道いかなる善根もほどこずにやぶさかではないぞよ」
その言葉にここぞとばかり時子は、
「それぞ有難き御発心ほっしん、かねて小松殿(重盛)も門脇殿(教盛)も御心痛ひとかたならずお歎きあるは、御縁組みありし藤原成親卿が配所に失せられしは、せんかたなしとして、その子息丹波少将(成経)、平康頼、俊寛法師と共に鬼界ヶ島(硫黄島)に流刑、せめては生命にゆゆがなきうちに御赦免ありたきものよとのこと・・・:」
権大納言藤原成親卿の妹は重盛の妻、娘は重盛嫡子維盛の妻、成親の長子丹波成経は教盛の婿である。平康頼は平家一門である。
清盛から考えれば、その彼等がひそかに“打倒平家”を共謀したことが、胸が煮えくり返るようで許しがたい。
だが、中宮御安産、皇子誕生を切に望からにはと腕こまねく。その耳のそばで時子は声をひそめて、
「もしも、亡き成親卿の怨霊のたたりが中宮の御身の上に及びましたら、いかがなされまする」
「なにを申すか、それは女子供のたわけ言よ。死者は肉体は滅びて土に帰して消滅、なにも怖るる事はない。世に怖ろしきは生きている人間だけよ」
清盛の信念である。平治の乱の敗将源義朝の怨霊が祟るなら、まずこの平家が安穏で栄えてゆくはずはない。死者はこの世になんの影響も与え得ないではないか。
「さりとて、人に善根をほどこさず、自らのよき事のみを祈願いたしても神仏はおきき入れ下されますまい」
時子はあくまで言い張る。
「それほど申すなら、気のすむようにいたそう。中宮御産の慶事により大赦を行う。丹波少将、平康頼は硫黄島より帰洛させるが、あのにっくき俊寛はこの清盛が眼をかけて法勝寺執行しぎょうに取り立て得させ、鹿ヶ谷に山荘などを構うる身分となりし恩義をかえりみもせで、その山荘に同志を集めて打倒平家を合議する悪逆無道、いかにしても許しがたい」
清盛は理智も備えながら、その反面に喜怒哀楽の感情が烈しかった。それが清盛が単に冷血な権力者とも違う、人間的な魅力であり、もし相手の意気に感ずればどこまでも信頼して好意を抱くが、それが俊寛の場合のように、みごとに裏切られた時には烈しく動転して怒り狂う。
その良人の性質をよく知る時子は、清盛の心情にもそむけなかったが、教盛の女婿が帰れるのは大きな功徳であった。
2021/01/03
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