~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
彗  星 (四)
中宮御安産の日に直ちに六波羅に向かったのはいずれも高位高官の朝臣公卿で、いわば公式の祝賀で池殿の殿内は混雑ひとかたでなかった。そのかた苦しい儀礼の客の大混雑を避けて、のちの日に中宮の御姉妹が打ち揃って、いわば私的の祝いに参上されることになった。中宮はまだ御産褥とてお眼にかかれぬが、皇子誕生をいかばかりか喜ばれる父君と母君への祝詞を述べるためである。
打ち合わせた定めのときに白川殿(盛子)、花山院北の方昌子、冷泉北の方佑子、近衛殿(基道)北の方寛子、七条北の方典子がおのおの糸毛車で、このたびの産殿の設けられた六波羅の叔父君頼盛邸に入る。
嫁いだ五人の姫たちがこのように揃って父母の前に姿を現すのは、清盛や時子にとって先日関白以下の大官が儀礼的に顔を揃えて祝詞を述べたのもまさって、親としての喜びの情感はひとしおであったと思えるが、なにしろ中宮安産の日夜の祈願に疲労困憊こんぱい 、皇子誕生に狂喜して思わず号泣したりの異常の昂奮が続いたあと、さながら虚脱状態に陥ったらしく、日頃の父君の天下の英雄らしい豪放磊落らいらくな感じは消えて、いかにもだらしなく抜けのように娘たちの前で「ぐわ、ふわ」と高笑いをされるのみである。
母の時子はいつも姉妹たちを迎えると滋味深い暖かさで抱擁されるようなのに、その日の母君はこれも極度の疲労の影は眼のまわりを仄黒くくまどって、魂のむぬけの殻となられたのか「おう、おう」と意味をなさぬ言葉を繰り返されてばかり・・・五人の姉妹は取りつく島もないありさまだった。
このありさまに、阿紗伎は気転をきかして、
「御姉妹お揃いのこの折、あちらの池殿御館にてお睦まじくおものがたり遊ばしませ」
と、産殿から連れ出して頼盛邸の客間に案内する。そこへの透廊すいろうを渡る順も座に着く席順もすべて白川殿盛子が先頭だったのは、姉妹のうちでの階級は中宮を別として、准三后じゅんさんごうの位にある白河殿であり、あとは年齢の順である。
この叔父の館も西八条と同じように唐菓子からくだもの茉莉花まつりか茶が運ばれ、この館の奥の老女が現れて口上を述べた。
「せっかくお見え遊ばしましたに、北の方さまこのたびの中宮さま御産の前後のお心づかいにてお疲れお引き籠りにて、御挨拶にもお出ましなされず、くれぐれもお詫びをと仰せつかりました」
あわれにも頼盛夫人も産殿に中宮を迎えての気づかいから心気消耗したらしい・・・。“なんという大騒動であろう”と姉妹は顔見合わせる。
ところへ産殿に詰める侍女が次の間に入り伝えた。
「ただいま御産御祝に右京大夫参上されまして、ここにお揃いの御姉妹の御方がたにおめもじをと申されますので御案内いたしました」
右京大夫とは西八条での学習と筝の師の世尊寺夫妻の娘で徳子入内に付いて以来、いま中宮に仕える女房である。
まもなく彼女はそこに現れて、中宮の御姉妹にこのたびの御安産、皇子御誕生に型の如く祝詞を述べて後、
「わたくし事、母夕霧尼病のためさき頃内裏を退出いたし西山の母をみとり(看病)おろまするが、とりあえずおよろこびに参じました」
と言う。父の伊行は三年前に逝き、その後夕霧は尼となり京の西郊西山に隠棲している。
かつての筝の師夕霧病むと聞いて、姉妹から優しい見舞の言葉を受けた京極大夫はその病母が気がかりなのであろう、早くもいとまを告げて座をしりぞく時、典子が声をかけた。
「中納言内侍ないしはすこやかでございますか」
それは典子を継母とする殖子、内裏のつぼねに仕えて久しい。
右京大夫はしさりかけた膝をとめて、やや当惑してたゆたいつつ、
「中納言内侍は御所(天皇)の局に御出仕とて委しくは存じませぬが、近頃御気色すぐれずお引き籠りとやら伺いました」
答えると一礼して静かに去る・・・
2021/01/04
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