~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
彗  星 (五)
「右京大夫は母御の看病疲れか、やつれていられましたの・・・」
彼女が去った後花山院北の方が言われると、
「それに“恋”ゆえにもおやつれなのであろう」
白川殿が微笑まれた。日頃は准三后の位にあるこの方の謹厳な態度を知る姉妹方は、いま“恋”と言う言葉を口にされるのが珍しい事に思われる。
「内裏の女房と殿上人の恋はありがち、右京大夫も中宮さまと同じお年齢、一つ二つそのような華やかなお噂もございましょう」
阿紗伎がつ浮々と口を出したのは、いずれもなつかしい平家の姫君お揃いの水入らずのお集まりで心愉しいあまりだった。
「阿紗伎もその噂は知らぬでもなかろう」
近衛北の方が推察された。先年の流産以来病弱がちのこの寛子も、久しぶりで姉妹一同に会した雰囲気に西八条の対屋の少女の日に返られたようである。
「はい、西八条からお供でこちらに移りましてから、おのずと内裏のお噂に触れますので・・・」
阿紗伎がつい口をすべらしたので困ってしまうのを助けるように白川殿盛子が、
「その噂がこの六波羅一門にひろまるのも道理、右京大夫の恋のお相手は誰あろうわたくしたち姉妹のおい、右権中将とあっては、つい人の口のにのぼりましょうもの」
長兄重盛の次子資盛すけもりは右権中将である。
「まあ! あのお利口な右京大夫があの人を?」
典子が無邪気な遠慮のない言葉を思わず出したのは、この甥に対しての先入観が悪かったからである。
「それは右権中将が強引に迫られたゆえとの評判でございます」
白川殿が右京大夫を弁護される。
(さもあろう)と典子は心中うなずく。中宮徳子の甥として内裏の局にも出入りを許されるを幸い、右京大夫にも近付きその几帳きちょうの中にも侵入しかねまじと想像する。
「右京大夫もそれになびかれたあと女心のひとすじに燃えてお慕いなされたに、近頃は中将の君が秋風とやら・・・右京大夫おやつれも無理がない・・・」
白川殿はこう言われるなり、それがやや言い過ぎのわが身分としての饒舌じょうぜつを恥じ入られたように、
「ホホ、今日はへだてなき姉妹と打ちとけての同席とて、つい口さがなきことを漏らして・・・これではうかと長居はなりませぬの」
と姉妹に会釈されて座を立つと、その白川殿の継子基道の妻寛子も姉(でありかつ姑)と共に座をしさる。お見送りに阿紗伎たちが従った後はなんとなくしいんとする。さきほどから一言もなく沈黙を守り続けたのは、冷泉北の方佑子だった。彼女にとっては“恋”の話は胸痛む思いで禁物であった。
「白川殿盛さまが、あのようなことを仰せられたは、八年前の文月<ふづきspan class="eee">(七月)の松殿(基房)との不祥事、そのあまたも松殿と平家の間にあるまじき事の起って、松殿を義弟君<おとうとぎみとなさる盛さまはその間に立たれていかばかりお悩みなされたか・・・それゆえと思われます」
花山院北の方昌子の言葉は妹たちにその不肖事件を思い出させた。
そのいまわしき騒動。張本人は当時まだ少年だった資盛だった。嘉応二年(1170)七月三日資盛が供の若侍と馬を走らせる途上、摂政基房の参内の行列に出会った。そうした場合はまだ五位の資盛少年は一位の摂政の車の前に下馬の礼をとるのが当然だったが、日頃平家嫡子重盛の御曹司として甘やかされた彼はその礼をとらず、供の者もいずれも二十歳未満の作法知らず揃いに、摂政の共者たちは怒り、資盛を初め供の侍たちをみな馬上から引き摺<りおろしていましめた。
資盛の父重盛はこの報告を受けて憤懣に堪えなかった。重盛は異母妹の盛子が基房の兄基実に嫁いだその露顕<ところあらわいの宴の時から、新郎の弟が成り上がりの平家を冷眼視するのを知って不快の感情を抱き続けていた。その悪感情がこの事件で爆発して、やがてその冬基房が参内の途上を重盛の家臣が襲撃し、晴れの装束の随身<ずいじん(従者)髻<もとどり を切ったという大狼藉は、京の巷の前代未聞の椿事として大評判となった。
巷の声はみな奢<おごれる平家の横暴をそしり、日頃温厚な君子人としての定評のあった小松殿(重盛)の所業とは想像も出来ず、みな傲慢不遜の相国入道清盛の為<せるところと信じてしまう。
「あの際は西八条の母君(時子)も、白川殿はさぞかし困られるであろうとお歎きでございました。父君(清盛)は福原に御滞在にて何事も御存知なかった・・・」
典子が言うように、当時まだ西八条対屋の姫君だった佑子や典子は、その前後の事情は知っていた。典子に甥の資盛の先入観が悪いのはここに始まっていた。
白川殿と近衛の北の方を送り出した阿紗伎は、侍女たちに朱塗りの高坏<たかつき二台に季節の橘の実(みかん)や甘い干杏子<ほしからもも(あんず)を盛り分けて運ばせて座に戻り、
「ごゆるりとおくつろぎ遊ばせ」
と接待につとめる。阿紗伎は姫たちすべてが嫁ぎ去った西八条のさびしさを思うと、いまここに迎えた北の方たち姉妹を一刻もとどめて置きたい気持である。
けれども、客は次から次へ絶え間がないのは、この六波羅のあたりは一門の邸宅が犇<ひしめくようにならぶので、中宮産殿におわす間は一族の出入りが続く。
2021/01/04
Next