~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
彗  星 (六)
「ただいま御産殿に伺候<しこうの右権中将さま、叔母君さま方に御挨拶をと仰せられて、こちに御案内いたしました」
侍女の声と共に資盛が現れた。
“まあ、噂をすれば影とやら”とばかり三人の叔母君は顔見合わせて微苦笑される。
資盛は兄の維盛と同じように平家美男型ではあるが気性は違う。
「これは、お美しい叔母君方御姉妹三人お揃<そろいで花の匂うようでござるわ」
噂の男は呑気<のんきなお世辞を言うと「ホホ、そのお口で右京大夫をたぶらかして」と言ってやりたいのを我慢した典子はさりげなく笑って、
「まあ、わたくしたち姉妹どのような花なのでございましょうか」
と言うと、えたりと資盛は、滔々<とうとうと弁ずる。
「おや、御姉妹方はご自分が“平家の姫君花揃い”と六波羅武士の間に言い囃<はやされるを御存じないのか、これはうかつ千万。まず中宮は芙蓉ふよう、白川殿は水仙、近衛北の方は一重桜・・・」
「まあ!」
姉妹たちは自分たちが花になぞらえるのを初めて聞くと、なるほど、中宮さまの芙蓉もいかにもそれらしく、十一歳で未亡人になられていま准三后の白川盛子が清らかな水仙とは似合わしいとうなずく。近衛北の方寛子のあっさりした気質も仄白い一重桜とも思える・・・。
「おここに並ぶわたくしたちは」
さてどのような花になるのかと典子は聞きたい。
「さて、そこのお方たちは、まず花山院北の方は紫濃き藤の花とな」
昌子が顔を伏せたのは、その頬にかすかに疱瘡のあとをとどめる悲しさからである。
「つぎは冷泉北の方は蘭の花」
資盛はいい気持ちで声を張り上げる。
「まあ、ほんとうに祐さまはその花の精ではなかろうか」
典子は感服した。蘭花とはいかにもその人柄と容姿を巧みに表現して、六波羅武士たちも心憎いと思う。
「してそれなる末姫のやんちゃ小姫、いまの七条北の方はいかなる花と思されるか」
資盛は末の叔母をからかう。
「典子は野菊であろうか」
彼女にも似合わぬ謙遜である。
「いかなこと、なんと愛らしいき紅梅」の君でござるよ」
「まあ、その通り」
蘭の佑子が微笑んで典子を見ると、
「「おお、はずかし」
と、でも嬉し気に小袿こうちぎの袖で顔をかくす。
「叔母君方、いかがでござる。このように六波羅武士がいずれも西八条対屋の姫君方を花になぞらえて憧れ居りましたに、いずれも名門の公卿に入輿にゅうよ、平家に忠誠を尽くす六波羅武士たちは、あたら平家の名花を京育ちの長袖ちょうしゅうの、鎧冑よろいかぶとを身につけたこともなき、歌と管弦と蹴鞠けまりに遊び興ずる公達に奪い取られたと歎いて居りまするぞ」
資盛は調子に乗って叔母君たちをおどろかすと、三人の公卿の北の方しんみりとされて言葉もない。
資盛は兄の維盛が武士ながら優雅に公卿化したのと異なり、少年時代に松殿の一行の前を昂然と馬で乗り越えようとした腕白な気性だけに、いかにも六波羅武士らしかった。典子などはこの日以来、この勇壮な甥にかつての先入観を改めなばならぬ。
こうして三人の叔母が資盛にすっかりやり込められたのを挽回ばんかいするように、
「じつは、ついさきほどあなたのお噂をしていたところよ」
典子は正直に本当の事を言ってしまう。
「これはしたり、いずれかんばしからぬ噂でありましょうの」
「いいえ、はなやかなるお噂、さりながら大蔵卿の婿君ともあらば、そのような浮いた噂は立たぬようになされませよ」
昌子が叔母の権威を保って忠告した。資盛の妻は平家と親しい大蔵卿藤原基家の姫である。兄の維盛がまだ十五歳の時に藤原成親なりちかの十三歳の次女を見染ての早婚であるように、資盛もすでに結婚している。それが年齢上の右京大夫と浮き名を立てていた。わが夫兼雅とろうの方とのことで“歎きの妻”の昌子はつい甥の品行にも苦い顔をする。
「これはなんと叔母君のお叱りを受けにまかり出たようなもの、弓矢の道にかけては敵にうしを見せぬこの資盛も叔母君のお口には叶わぬ、手傷を受けぬうちに退散退散」
直衣のうしの袖をひるがえして、彼は叔母たちの前から風のごとく去った。
「姉上(昌子)も典さまも、おもごとに右権中将の君を退治なされましたからには、もうそろそろお引き上げといたしましょう」
その退治には加わらなかった冷泉北の方が初めて朱唇を開く。
「まあ、せっかくのおつどい、もうしばらくいはよろしいではございませぬか」
阿紗伎は名残惜し気に引き止める。
「わたくしも修理大夫さまが今日は御気分すぐれずと臥せられるゆえ」
典子も気がかりでこれ以上長居は出来ぬ。良人の信隆は邸宅類焼の心労からか、此の頃とかく健康おもわしからぬ状態だった。
「お大事に御看護遊ばせよ」
と昌子が姉らしいことを言い、佑子からは、
「さきほど右京大夫の言われしには、中納言内侍もなにかおさわりがあって局にお引き籠りのよし、典さまも母上としてお見舞いのお文なりと内裏へ差し上げられませよ」
この人らしい細やかな注意を妹は与えられて、やがて三人の北の方たちの糸毛車は帰路をたどる。
2021/01/04
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