~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
京 と 伊 豆 (二)
官僚の致仕の表を取扱うのは太政官庁の少納言局なので、大江広元は七条修理大夫が病弱その職に堪えずと辞任するのを知った。
彼は修理大夫信隆の嫡子信清の修学指導を依頼され、その為に住宅まで贈られた恩顧があるので、その日の退庁後さっそく七条家へ見舞いに行った。
広元の訪問が奥に通じられると、信清が急いで現れてかつての学問の師を丁重に迎えた。
「よくぞお越し下さいました。父もどのように喜ぶことでございましょう」
と、父の病室へ案内した。
広元はそこの病室の信隆を見た時、日頃も痩身鶴のごとき人だったが、今は枯れ木のように老いの影がまつわっていた。
「日頃は御無音に過ごし、このたびはながらく御病中とも知らず、致仕事の表を奉られて打ち「ち驚き、御見舞に参上いたしました」
「それはまことにかたじけない。信清も御教導のおかげにて侍従に抜擢されて出仕後は、こちらこそ御疎遠に打ちすぎ申し訳なき次第を、はからずもお見舞い戴き恐縮恐縮」
身体は病み呆けて見え、言葉もしわがれながらしっかりとしていた。
「信清殿もおみごとに御成人、いささか学習のお手伝いをいたせしわが身にとりても喜ばしく」
「いやこれも広元殿を師と仰ぎて学びし甲斐ありと今更に御礼申し上げたい。親の欲目からは、信清は父まさりと思える。この信隆はいたずらに超俗を誇って修理大夫で一生を終わってかくのごとく老いさらばえましたが、信清はそれを真似ず、父よりまさる才能を備えて、叶うことなら将来廟堂びょうどうに立つ者にさせたいと、この父は老朽してから超俗どころか、かえって卑俗な野望を息子にはかける浅ましさ、広元殿御憫笑びんしょう下されよ」
しわがれ声で長々と弁ずる老いたる父信隆の心境が手にとるように理解も出来る。娘殖子が帝の寵を受けて先頃皇子を生みまいらせたという思いがけない運命は、その父を“超俗”の境地に安住させぬのも当然であり、嫡子信清には最初から将来の望みを託して広元について学問を学ばせたはずだ。
「いや、そのお言葉、誰か笑い得ましょうや。親として子に夢をかけるはことわり、この広元も子を持って知りました」
「おお、そうじゃった。すでに御子息もあったの。三善康信殿の従妹との婚礼には、この信隆も列して今様など声張り上げてうとうたものだった」
と病人は明るい笑いをもらしたが、たちまち烈しく咳き込む。
「御病床に長居は無用、これにておいとまつかまつる。くれぐれもお大切になされよ」
広元は引き上げようとすると、
「むさくるしき老病の床ではお引き止めも出来ぬ。本日お心にかけてのお見舞い、まことにかたじけない」
信隆が心から感謝して軽く眼を閉じるのは、やはり客との対話には疲れるらしい。
広元を送って出ながら信清が言った。
「本日西八条に院(法皇)の御幸を仰ぎますので、母も招かれて参り留守をいたし失礼いたします。母が居りましたならさぞかし久しぶりの御来訪を喜んだことでありましょう」
その日、西八条には法皇御幸、清盛は厳島より美しく若き巫女二十数人を呼び集めて神楽舞かぐらまいをお眼にかける趣向など評判だった。
── 広元が帰った後、信清が父の枕辺に戻ると、病父が言う。
「広元殿はまさしく嚢中のうちゅうきりよの。やがて時来たらば鋭鋒鋭く現されるであろうぞ。信清、この老衰の父やがて亡き後は、そなたが何事にか思慮分別に迷う際は必ず広元殿にご判断を乞うがよいぞ」
「仰せのごとく必ず心得おきます」
両手をついてその子は誓うように答えた。
── 広元は七条家を出て、晩春の若葉の梢がそのあたりの公卿の邸の土塀の上にのぞく道のほとりの夕暮れの中を辿ってわが家へと帰ると、留守に三善康信が来て書斎に待っていた。
「七条修理大夫の病床をいま見舞うたところ」
と告げると、
「それは喜ばれたであろう。広元殿の人物には傾倒していられる方じゃ。それに北の方は平家の姫、やはりかつての教え子であろう」
「その北の方は、今日西八条の院の御幸を一族で迎えるに呼ばれて留守であった」
「そうそう。厳島の巫女を集めたり、院の御機嫌をとり結ぶに入道相国大童おおわらわよ。中宮にはまでたく皇太子誕生、このところ平家の春たけなわに入道殿酔うていられよう」
「あいにくわれら両人に平家の春はかかわりなきことよ。われらが心にかかるは伊豆の流人、その消息はその後いかがであろう」
広元の脳裏にひそむのは康信と共にわが未来を賭ける頼朝の動向であった。
「それよ。それを伝えにいま参ってお待ちしたのじゃ」
二人だけの秘密のこの語り合いは、こうした時と場所なければ、うかと口は開けぬ。
「どのような」
広元は盟友康信に膝を進める。
佐殿すけどの(頼朝)は伊豆の土豪北条時政のむすめ政子をめとられた。しうと時政が平家を怖れて承引されぬを、娘の政子が風の夜を家出して佐殿のもとへ走られたゆえ、いまは時政の娘婿としてこのほど一女をもうけられた」
康信の伝える頼朝の近況に広元は「ホウ」と思わずうなった。
「ホウ、流人の身にて恋も婚礼も、そして一子の父となられるとは、さても果報な方よ」
広元に微笑されると、康信は不安気に、
「それは同じ流人と申せど鬼界ヶ島にとり残されし哀れな俊寛法師などとは違い、源氏の旧臣たちのひそかに仕送る衣食で暮らさるる身じゃが、妻子を得られての生活の愉しさに、源氏再興の大望をいつしか忘れられるかと案じられもする」
「いやいや、舅時政は伊豆の役人の身にて佐殿を婿とせしからには、これも源氏の再興に大望を賭けてのことであろう。まして流人を恋して身を投ぜしその政子とは並みならぬ女性にょしょう。佐殿を伊豆の辺土にみすみす朽ちさせてはおくまい」
広元は敢然と言い放つ。
── この宵、西八条の清盛夫妻は法皇歓待に疲れ果てた刻であったろう・・・。
2021/01/05
Next