~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
風 立 ち ぬ (六)
その日のひつじの刻(午後二時)に、いつもより早く信清は御所から帰って、父の病室に入った。
「おお、早いの、何かあったのか」
病父はいぶかしんだ。
「はい、臣下にはお優しいみかどは本日の洛中の騒然たるなかに、病父も母も案じられよう、この事変の終結するまでは出仕せずに父母の許にあれと仰せられました」
高倉帝はそうおう方であった。この日も若き若き侍従職に思いやりを示される。
「何事か、洛中騒然たりとは?」
典子がそれに答えねばならぬ。
「じつは今朝耳にいたしましたが、御病中お知らせいたしてよいやらと心たゆたわれて秘して居りました」
「母上の御案じはもっとも至極、さりながらこれは父上にお知らせいたしてもすでに官職を致仕ちしなされて、この騒動にはかかわりなきお身軽さゆえ」
「この世捨て人同然の病人、世に何が起きようと驚きもいたさぬぞ」
「父上、本日入道相国、福原より軍勢を率いてのぼられました」
「それはなにゆえじゃ!」
驚かぬはずの病人も愕然として起きあがろうとするのを、典子と信清が左右から押しとめる。
准三后じゅんこうごう白川殿みまかられしのち、嫡子基通殿当然受け継がるべき御遺領を院領に召し上げられ、また小松殿の領地越前国は右中将の君(維盛)継承あるべきを、これまた院領にお取り上げ、その上このたび何ゆえにや松殿(基房)の御子息わずか八歳の師家もろいえ殿を一躍中納言に昇進なされるというは。これ近衛殿(基通)の系統をしりぞけ、松殿の系統を押し立てん法皇の思召し、これぞ平家を公然と遠ざけられる御行動と、入道相国のいきどおられたゆえと思われます」
先代近衛基実の妻は平家の姫盛子、その継子基通の妻も平家の姫寛子である。平家に縁を引く遺族へのいやがらせと領地没収、法皇の反平家の陰湿な表現である。
「うーむ」
と病床の信隆は思わずうなる。老いて病む彼は、わが生命は明日をも知れぬと思う。
「して、平家の軍勢は法住寺殿ほうじゅうじでんを囲みましたか」
典子はわが父が法皇御所を攻めでもしたら・・・と気が気でない。
「母上、御安堵なされませ。さすが入道相国さような振舞はなされませぬ。軍勢はおおかたは六波羅に止めて入道殿は西八条へ入られました」
信清は皇居の帝のお傍に仕える侍従として、その情報を確実に捕らえている。
今上きんじょう(高倉帝)も、御父君法皇と入道相国の間に立たれて、さぞかし御苦衷とお察し申し上げる」
病床の信隆が推察するように、高倉天皇の御生母亡き建春門院は平清盛の妻時子の妹、現在の中宮徳子はこれまた清盛の女、皇太子言仁ときひと親王の外祖父は清盛である。このたびの父法皇と清盛との確執は天皇にとって大いなる悲劇である。
けれども幸い平氏の軍勢は何も武力行動には出ず、示威運動に止り、清盛はその軍馬を待機させて西八条に入ったのは、嵐の前の無気味な静けさであった。
「信清・・・」
病父のかすれた声に信清は顔をやつれた父に近づけた。
「わが亡きのちは、この母に孝養を怠るまいぞ」
「仰せまでもございませぬ。しかと心得ておりまする」
「弟隆清にも兄としての後見を頼むぞよ」
異母弟はまだ幼年とて、傅役もりやくに連れられて日々父を見舞うだけで、まだ居室にされてがんぜなく遊ぶ童子だった。
「はい、隆清はただ一人のわが弟、将来共に力を合せ七条家を盛り立てたいが、かねての念願でございます」
良人がすでに覚悟した態度と、さぬ子の健気さに涙ぐんでうつむく典子は、いま病人へのいっときの気休めの慰めの言葉もかけられぬ。
「わが老いての生命はすでに旦夕たんせきにせまったいる。明日をも知れぬによって、いまただならぬこの騒がしき時に、盛大なる法事などもってのほか、必ずしめやかな密葬にいたせよ。それこそ生涯を風雅に遊び修理大夫で終りしわが身にふさわしいのじゃ」
信隆のしわがれ声に、妻も息子も言葉もなくうなずいて涙をぬぐう。
2021/01/08

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