~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
風 立 ち ぬ (九)
入道さまの御機嫌に一同さがる。阿紗伎も侍女を遠ざけて、自分はいつものように次の板敷に控える。
「それも伺いますところ、院におかせられては鳥羽殿へにわかに御幸とか・・・」
時子が事の真相を探ろうと、ひかえめな言葉に対して、清盛の答えはいたって豪放で明朗だった。
「うむ、院のけしからぬ近臣を退治するにはどうでも離宮へお移り願わねばならぬでな」
「院は『以後は一切政治にかかわらぬ』とおおせられましたというに・・・」
時子は良人は行き過ぎぬかと案じる。
「ハハハ、院の仰せとその御胸中とはいつも表裏があって変化千万、うかと油断はならぬ。いくたび苦汁をめたことか。平家を妬む近臣のやからがお傍にある限りはな」
清盛は敢然と言い放つ。
「鳥羽殿へのわたまし(御移り)には、宗盛たち供奉ぐぶいたしましたでございましょうか」
重盛亡きのち平家武士団の統率者は三男宗盛である。
「いや、あれは行かぬであろう。それより院司平業房らを遠流に処すためひっ捕らえさせた。院にわざわいなすそれ妖婦丹後局の良人よ」
「院司に代ってお傍の公卿の誰彼がお供いたしたでございましょう」
「ハハハ、長袖ちょうしゅうの殿上人いずれも形勢不利と見るや、我先に逃亡、鳥羽の北殿へのお車には院の乳人めのと紀伊局とそれに従う尼僧が一人、お車脇には下﨟げろう(雑役夫)だけよ」
「まあ・・・」
時子はしいん・・・とした。それはもう“御幸”などと申せるものでなく、まさに法皇は離宮に幽閉の形ではないか。さながら捕らわれ人となられた法皇に御所の局からは老いたる女房と尼僧一人、車に従うのは下﨟のみ、その前後は平家武士団が、警護ではない、むしろおそれ多くも囚人の車を護送するごとくであったろうか。
京の鳥羽のその離宮は百余町の山荘で、殿舎は南北にある。その北の殿舎にそれだけの従者で幽囚の法皇となられるのだ。これが良人清盛の勇猛果敢に行ったこのたびのクーデターの結末かと知るや、もはや法皇と平家一族の間は断絶と時子は思う。
そして、すでに事終わった今、何の言葉をはさむも無駄と諦める。
「まずこれで目的は達した。兵たちも福原で休養させたい。よって本日のうちにあちらに出立いたすぞ」
清盛は軍兵と疾風の如く来ってふたたびはやてのごとく福原に去るという。
時子はその良人にぜひとも言わねばならぬことがあった。
「昨日散位さんに信隆卿を密葬いたしました。亡くなられしは十七日、折り方の事とて喪は秘めました。この母も典子をあわれと歎きつつも、この西八条を出るのもはばかられる余儀無き次第でございました」
「うーむ。それは亡き婿どににも典子にもそなたにも気の毒の至りであったの。許せよ。この入道にもこたびはるかるかの瀬戸際じゃった」
「典子もいざとなれば、なかなかに頼もしく、信隆卿の病あつしとみるや、その病床にて信清どのと許嫁いいなずけの姫との盃事もすませて心置きなく婿殿を見送りましたよし」
「おお、それはみごとよ。さすがにそなたの娘じゃ」
「典子のおかげでおめにあずかりました・・・それにまたさぬ仲の信清どのもよく出来た方とてまずまず仕合せでございます」
「うむ典子も一子を儲けてあって、これ幸いじゃ、これから母としての生活があるからの、いずれこの父も会うて慰め励ましてやろうぞ、と伝えてくれ」
「福原へお立ちのあと、今日のうちにも七条殿へ参りただいまのお言葉も伝えましょう」
「では万事たのむぞ」
清盛は立ち上がった。もう時刻はうまの刻(正十二時)、西八条には福原へ従う武士たちが勢揃いしたらしく、軍馬のいななきが聞こえる。
近習が急ぎ足で現れた。
「申し上げます。法住寺殿で捕らえましたる院司平業房、六波羅へ連れて行く途中隙を見て逃亡 ──」
言いもはてず、清盛は怒号した。
「おろかな手落ちをいたすとは何事か」
「はい、武士の情で縄をかけずにおいたが不覚と、さっそく騎馬で追いとめ、遠島いたさせるまで六波羅へ監禁いたしたいと使者が申します」
清盛は直ちに命じた。
「遠島の処刑はもう手ぬるい。逃亡の罪科により直ちに斬れッ」
こう言い放って清盛は足音高く立ち去った。
── 時子はわが亡き妹建春門院に代って法皇の寵女となった丹後守高階たかしな栄子が、この日から永久に良人を見る日のないことを知った・・・それは丹後守にとってさほどの歎きでもあるまいと推理したが、けれどもその丹後守が今日鳥羽離宮へ幽閉の法皇の車に紀伊局に付いてお供した尼僧の姿に変装して入り、いま離宮北の殿舎で法皇の身近に仕える事実を“神ならぬ身の”知るはずもなかった。
2021/01/10

Next